Sognate〜4〜




窓の外で鳴き始めた小鳥の声に、ゆっくりと意識が上昇していく。


ああ、もう朝か。でもなんだろう。すごく温かくて、心地よくて。ずっとこのままこうしていられたらいいのに―――。でも、支度して、お店を開けなくちゃ―――。


「……ん」


名残惜しい気持ちをなんとか押さえ込んで、重たい瞼を開いていく。そうすると、いつもならばそこには朝の光をうっすらと映したカーテンが広がっている……はずなのに。


「おはよう、テミス」
「…………っ!!」


その声に一気に脳が覚醒した私は、驚いて身体を起こした。目の前には、ベッドから半身を覗かせたザルガバースの姿があった。


「あ、あ、あの―――」
「テミス、私としては悪くはないのだが、そのままだと風邪をひいてしまうよ」
「あ、え?」


その言葉にはたと視線を下げると、そこには何も身につけていない裸の身体―――。


「っ!!!」


両腕で身体を抱きしめてザルガバースに背を向けた。恥ずかしさにぎゅっと目を閉じると、私の身体をふわりとした何かが包み込む。


「ザ、ザルガバース……」


後ろからシーツごと、私の身体をザルガバースが抱きしめる。その温もりと彼の香りに、昨夜の記憶が舞い戻る。


そうだ、私、昨夜はザルガバースと……―――


「出来ることなら、ずっとこうしていたいよ」


真っ赤になっているだろう私の耳に唇を寄せて、ザルガバースはそう囁く。


「わ、私も、です。でも―――」
「でも?」
「お店を開けなくちゃいけないし」
「私は本たちに負けるのだね」
「そ、そんなことはないけれど!あなたもお仕事に行かなくちゃいけないのでしょう?」


そう言っておずおずと振り返ると、彼は肩をすくめて見せた。


「ああ、残念ながらそうしなければいけないらしい。だから続きは、次回まで取っておくことにしよう」


そう言って落とされたキスに再び赤くなる私を楽しげに見つめて、ザルガバースはもう一度私を強く抱きしめた。






「父君からこの店を?」
「ええ。継いで欲しいとは直接言われたことはなかったんですけれど、流行り病で急に亡くなってしまって。でも、母が亡くなってからはずっと手伝ってきていましたし、おかげでなんとかこれまでやって来られました。この家と、店を残してくれた両親には本当に感謝しています」


私の淹れたコーヒーを飲みながら、ザルガバースはじっと私の話を聞いていた。


「寂しくなかったと言ったら嘘になりますけれど、ずっと暮らしてきた家だし、周りの人たちも優しい人たちばかりだし。向かいの雑貨店のコフィさんの奥さんから時々いただくお料理は本当に美味しいし」


笑ってそう言うと、コーヒーカップを置いたザルガバースの手が、そっと私の手を握った。


「よく、頑張ってきたね」
「……ザルガバース」
「君は私などよりもずっと強い。私にはもったいないほどの素晴らしい女性だ」
「そんな」


握った私の手をそっと持ち上げて、ザルガバースは手の甲にキスを落とす。


「君はもう、ひとりではない。これから先、私が君の傍にいよう」
「ザルガバース……」
「だからもう、泣くのは私の前だけにして欲しい」


私の目に浮かんだ涙をそっと拭って、彼はそう言った。


「違います、これは嬉しくて泣いてるんです」
「それも同じだ。嬉しい時の涙も、悲しい時の涙も、全部私のものだ」
「欲張りですね」
「恋をすると男は皆そうなるんだ」


ザルガバースの腕に抱きしめながら、私は夢のような幸福に酔いしれた。





枯葉が足元をくるりと円を描いて通り過ぎていく。冬の始まりを感じさせる風が通り抜けていく中、私たちは広場に設けられたベンチに座って、買ったばかりのホットワインを飲んでいた。


「ふふ」


小さく笑えば、隣のザルガバースが不服そうにこちらを見た。


「何がおかしいのかな?」
「だって、あなたがそんな猫舌だったなんて知りませんでした」


私が三口もワインを口にしている間、彼はまだ手に持った紙コップにふう、と息を吹きかけ続けているのだ。その姿はとても40歳を迎えた男の人には見えなくて、むしろかわいらしいと思ってしまう。そう言ったらきっと彼は困ってしまうのだろうから、胸の中にしまっておくけれど。


程よく熱さが取れたところで、ザルガバースは一口ワインを飲んで息を吐いた。そして、目の前の光景を眺める。広場には、店の大きな紙袋を持って行き交う人たちや、私たちと同じようにのんびり過ごすカップル。そして、無邪気に駆け回る子どもたちの姿があった。


「この光景を見ると、本当にほっとするよ」


ザルガバースは目を細めてそう言った。


「人々の、子どもたちの未来がこの先、幸福に満ち足りたものであればいいのだが―――」
「大丈夫です。だって、この国にはあなたのような素晴らしいジャッジマスターがいるもの」
「はは、それは買いかぶりすぎだ。私はラーサー様のお力になれているかも微妙なところだ」


苦笑いを浮かべて、ザルガバースは言った。


「ここでこうして大切な人とワインを飲む日が来るなど、少し前の私は考えもしなかった。この歳にして、やっと本当の幸福というものがわかった気がするよ」


私に注がれる穏やかな瞳に笑みを返す。


「あら、これくらいで幸せを満喫してもらっちゃ困ります。今度はリーアナ区にあるパン屋さんのバゲットサンドを食べてもらわなくちゃ。美味しすぎてきっとびっくりしちゃいますよ?」
「そうか、それは楽しみだ」


私の髪を撫でるザルガバースの手のひらが心地よくて、私は甘えるように彼の身体に寄りかかった。





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