L'oiseau bleu〜8〜



ドリーム小説 「それでは、よろしくお願いいたします」
「ああ―――」

まだ歳若いジャッジは僅かに緊張した様子でそう告げ、執務室から出て行った。扉の音が閉まる音を聞いてから、さっきの男が置いていった書類の束に目をやる。そして、思わず溜息がこぼれた。

今日は外に出ることもなく、朝から溜まった書類に目を通してはいるが、少しも頭に入ってこない。おかげでそれらはなかなか減ることはなく、増える一方だった。


俺の身体がすっぽりと沈むほど大きな椅子に背を預け、天井を仰ぎ見る。そしてゆっくりと瞼を閉じれば、頭に浮かぶのは昨日会った情報屋の話だった。


ここアルケイディスでは『情報』を売ることで生計を立てている輩がいた。表立ったものから、普段は知りえないものまで、様々な『情報』が帝都では売り買いされている。『情報』こそが、この街で行きぬく術となっているからだ。

昨日会った男もそんな情報屋のひとりだ。軍では知りえないことなどを、なぜかその男が握っていることがあり、極たまにではあるが俺もその男から情報を得ることがあった。もちろん、自分の身分は隠してはいるが、おそらく情報屋である男にはお見通しなのかもしれない。けれど、男がそれを口にすることは決してないし、俺も得た情報の出所を追及することもない。それが、『情報』を売る側、買う側、互いの暗黙の了解なのだ。



俺が昨日男から得たのは、のことだった。



歳は22。生まれつきではなく、幼い頃に発症した病で目が不自由となったらしい。父親、母親は共に数年前に他界。父親はアルケイディスでも有数の貿易会社を営んでいたが、その会社は父親の弟が跡を継ぎ、も彼らに引き取られた。だが、その後貿易会社は業績が振るわず、現在では規模が引き継いだ当初の10分の1までに激減。そしてその衰退と時を同じくして、は叔父夫婦の屋敷からあの部屋へと移り、客を取るようになった。そしてそれはやはり、彼女自身が自ら望んで行ったことではなく、叔父夫妻の差し金によるものらしい。

「あの子で金を稼いで、自分たちの生活を少しでも潤そうって魂胆なんだろうよ。あの夫婦、同業者や屋敷の周りからの評判がすこぶる悪いようだからねぇ」

情報屋の男は肩をすくめて「やだねぇ」とこぼし、苦笑いをして見せた。その話を聞き、脳裏に数ヶ月前に俺を尋ねてきた伯母である女の顔が浮かび、思わず眉をしかめた。




は唯一の肉親である叔父夫婦にあの部屋に閉じ込められ、身を売ることを強制されている。逃げることも、抗うことも出来ずに、あの牢獄のような部屋で彼女は……。


そう思うと、どうしようもなくいたたまれない気持ちに襲われた。


だが、俺に一体何ができると言うのだ―――。


あの夜、傷ついた身体を必死に守るように声を殺して泣き続けた。そして、それをどうしてやることも出来ずに、再び部屋の扉が開くまで立ち尽くすしかなかった自分。そんな俺が、一体何を―――。



なぜか苛立つ気持ちを抑えることができないまま、俺は立ち上がり、夕焼けに染まり始めたアルケイディスの空を窓越しに見上げた。その空は、あの日あのアパートメントの前でのペンダントを拾った時と、同じ色に見えた。

その色を目にし、不意にあの日の、それまでの彼女の姿が思い出された。


あの部屋の窓から空を見上げている姿は、空を恋焦がれる鳥のようだと思った。だが、飛び方を忘れたわけでも、飛ぶことを諦めているわけでもない。は毎日あの場所から、今すぐにでもあの空へと飛び立ちたいと、静かに、けれど必死にもがいていたのではないだろうか―――。


そう思った瞬間、俺は積み上げられた書類のことも忘れ部屋を飛び出した。



2010.6.26

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