L'oiseau bleu〜50〜



まだ陽が昇る前の部屋は薄暗く、静けさだけが広がっている。その中で、の微かな息遣いだけが、この空間に生を与えているようだった。

昨夜俺が執拗に求めたせいで、行為の終わりと共に意識を手放した。その最後まで、光を映さないはずのその瞳は必死に俺を捉えようと彷徨い、その細い腕は俺をつなぎとめようと伸ばされていた。


もしかしたら、彼女は感じ取っているのかもしれない。俺がこれからしようとしていることを―――。


俺の隣で眠っているのその温もりを肌で感じながら目を閉じる。


このままずっとこうして過ごせたらどんなにいいだろう。のことだけを想い、共に生きていけたなら。もう感じることはないだろうと思っていた安らぎも、幸福も、誰かを愛おしいと思うこの気持ちも、すべてを与えてくれたとこれからも―――。



「ノア……?」

目を覚ましたがその瞳を彷徨わせる。目を覚まして最初にその唇がかたどったのが自分の名前だということに言いようのない愛おしさがこみ上げた。そのせいで言葉を発せられずにいた俺に、が表情を曇らせる。

「ノア……?」
「―――どうした?」

不安げに伸ばされた手をそっと掴めば、はほっとしたようにその表情を緩めた。そしてそのまま、俺の胸に頬を摺り寄せる。

「夢を、見たの。あなたがいなくなってしまう夢―――」
「……そうか……」
「でも良かった……ここにノアがいてくれて」

その声に引き寄せられるようにの身体を抱きしめた。俺よりもはるかに華奢なその身体は、いとも容易に俺の腕に包み込まれる。


「お願い、ノア―――ずっと傍にいてね」


祈るように囁かれた言葉に、有り余るほどの幸せと、そして同時に身を切るような切なさが俺を襲った。泣いてしまいそうだった。と出逢ってからの数年間で初めて彼女が俺に対して口にした願い。だが、そのささやかな願いさえ、俺は聞いてやることは出来ないかもしれない。悟られぬようにぐっと奥歯を噛み締め、そっとの髪に手を滑らせた。手のひらに感じるその滑らかな感触が、少しずつ俺の心を落ち着けていく。震える喉に息を吸い込んでから口を開く。


「―――俺はずっと、君の傍に―――」


そう告げれば、は嬉しそうに微笑んだ。愛おしくてたまらないはずのその表情が胸を締め付ける。

「―――もう少し眠ろう」

形のいい額に口付けてから瞼に手をかざし、そっと短い言葉を唱える。その瞬間、の顔に困惑の色が浮かんだ。

「ノ、ア……?」
「……すまない、―――」

の口は再び何かを発しようと開かれたが、見えない力に導かれてそのまま目を閉じた。





昇り始めた朝日が、部屋から少しずつ闇を消していく。そして、カーテンの隙間から差し込み始めた柔らかな陽の光がゆっくりとその角度を変えていき、傍らに眠るの長い銀糸の髪を微かに照らし始めていた。



―――守りたかった。守り抜けると思っていた。新しい未来を共に歩むことが出来ると信じていた。だが同時に、俺にはその力も資格もないこともわかっていた。

いつまでも過去に囚われたままもがき続け、立ち止まったままでいることしか出来ない俺には、彼女の未来を担うことなど出来るはずはない。それどころかこのままでは、にも苦しみを与えてしまいかねない。この胸の中でいつまでも燻り続け、消えることのなかった炎を消し去らなければ。過去と、その元凶であるあの男と決着をつけなければ俺は―――。



差し込む朝陽の中、静かに眠り続けているの傍らに手をつき、そっと顔を近づけた。長いまつげが縁をかたどる瞼に唇を落とす。


―――」


愛おしい名を呟いてから、柔らかな唇に触れるだけの口づけをした。この想いがどうか彼女に届くようにと、そう願いながら。



―――愛している、永遠に君だけを―――



2011.3.10

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