L'oiseau bleu〜5〜



ベッドから起き上がり、手で壁をつたいながら足を進める。手に触れる壁や家具は、今日も同じ場所、同じ感触でそこにある。

寝室のドアを抜け、5歩進んだところで手を伸ばす。そして、手のひらに触れた少し冷たくて硬いそれを、力をこめてゆっくりと押した。その瞬間、ひんやりとした風が私の頬を撫ぜていった。



街も、人も、色も、光も、この目で見ることが出来なくなってどれくらいになるだろう。

街に差す陽の光も、歓声を上げて通り過ぎていく子供たちの姿も、私の目は映す事が出来ない。それでも、この窓辺で過ごす時間が私は何よりも好きだった。

肌で感じる陽の暖かさで季節を知り、静かに入り込んでくる風に運ばれる香りで咲く花を感じる。そして、耳に届く鳥の声で空の青さを思った―――。




いつものように椅子に腰掛けて窓辺にもたれながら、胸元のペンダントにそっと触れてみる。その感触を確かめながら、気がつくとあの人の事を思い出していた。




あの日、いつもよりもずっと早い時間に叩かれたドアの音に、私は身を硬くして口を閉ざすことしか出来なかった。けれど再度叩かれたその音を聞き、そもそもこの部屋のドアをノックして入ってくる人などいないことに気づいた。

じゃあ、一体誰が?

おそるおそる発した声に応えたのは、私がたった今必死になって探していたペンダントを拾ったというあの人だった。手探りでどんなに探しても見つけられず、もうこの手には戻ってこないんじゃないかと思い始めていた私に、それはまるで神様から届けられた贈り物のようにさえ思えた。



だから、あの人が再び私の元を訪れた時その声を聞いて、思わず寝室を抜け出して声を掛けてしまった。けれど次の瞬間、なぜそんなことをしてしまったのだろうという後悔が押し寄せた。いつもであれば、ただじっと寝室でその時が来るのを待っているというのに。



この人も、ここを訪れるほかの男たちのように私を買った客でしかない……。それなのに、ペンダントを私の元へ運んでくれたからと、私はこの人を、そんな人たちとは違うと、そう勝手に決め付けていたのかもしれない。



けれどそんな私に、あの人はあの夜、指1本触れることはなかった。切れたペンダントのチェーンを直し、部屋の鍵が開くまで休ませてもらうとソファにその身体を横たえ、朝までそのまま過ごした。目の見えない私に興を削がれてしまったのかもしれない。そう思った。





だけどあの人は、あれから月に1度は私の元を訪れるようになった。

陽が沈み、街が音を消した頃、その闇に紛れるようにやって来てこの部屋で一晩を過ごす。

あの夜と変わらず、私に触れることはしないまま―――。



2010.5.10

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