L'oiseau bleu〜47〜
夕陽がその色を深く増し、眼に映るものを染め上げていく。それはまるで、地平線に沈む直前の太陽が最後の力を振り絞ってすべてを飲み込もうとしているかのように思えた。
「―――ガブラス」
自分を呼ぶ声に俺は身動きすることも出来ず、ただじっと耳を傾けることしか出来なかった。
「たとえ誰が君の立場であっても、ああするより他はなかった。そうでなければ、ドレイスはもっと痛ましい最期を迎えることとなったであろう」
俺の傍まで歩み寄ってきたザルガバースが、静かにそう告げた。そして、俺の手に握られていた剣をそっと奪う。
「だから、己を責めるな―――」
その言葉にゆっくりと視線を上げた。気がつけば、そこにはすでにヴェインやベルガの姿はなく、俺とザルガバースだけが残されていた。いつの間に運び出されたのだろうか、グラミス陛下と、そして俺がこの手でとどめをさしたドレイスの亡骸さえ消え失せていた。残されていたのは、先ほどまでドレイスが横たわっていたという痕跡だけ。
ああそうか。俺の足元を赤く染め上げていたのは夕陽などではなく、ドレイスの身体から流れ出た血溜まりだったのだ―――。
―――卿と私でラーサー様を守り抜く。
先ほどまで剣を握っていた右手を見つめれば、ありありと蘇るあの肉を断つ感触。ほんの数日前、共にラーサー様を守るのだと、そう誓ったドレイスを、俺はこの手で―――。
「ガブラス」
強く右手を握り締めた俺の肩に、まるで俺の意識を繋ぎ止めるかのようにザルガバースの手が置かれた。向けられる瞳には、哀しみの中にもこれから先の困難に立ち向かうはっきりとした意思が宿っていた。
「これからアレキサンダーをブルオミシェイスへと向け、ラーサー様をお迎えにあがる。共に行ってくれるな?」
「……ああ……」
その問いかけに、俺はただ小さく頷くことしかできなかった。
『ラーサー様は帝国に残された唯一の希望だ』
ドレイス―――?
『生き延びて、ラーサー様を守って』
ラーサー様を……俺は……
『果たして、おまえに守り抜くことなど出来るのか?』
っ、貴様……!!なぜ……!!
『おまえは俺が国も家族も、すべてを捨て置いたとそう言うが、おまえはどうなんだ?』
何……!?
『敵国に頭を下げ、望んだものは何だ?ジャッジマスターにまで上りつめ、おまえが手にしたものは何だ?その鎧に身を包んだ時点で、おまえも国を捨てたことに変わりはないではないか!』
違う!俺は、俺はただ……!!
『そのあげくおまえは、母さんひとり守れはしなかったではないか』
……っ!!黙れ!!黙れ!!黙れバッシュ……―――!!!
「っ……!!」
自分の発した声にはじかれるように目を見開くと、目の前には暗闇の中にぼんやりと見慣れた天井があった。
「ノア……?」
そして腕に添えられる温かな感触。
「大丈夫……?ひどくうなされていたけれど―――」
「……ああ……」
不安げに問いかけられるの声に、荒い呼吸の合間になんとか「大丈夫だ」と、そう搾り出すように答えた。
―――なぜ、なぜあんな夢を。
だが、夢の中であの男に投げかえられた言葉は、深く俺の心に突き刺さっていた。
違う!俺はあの男のように国を捨てたのではない!心まで帝国に売ったわけではない!俺はただ、ただ守りたかっただけだ……!ただ母さんを……!
『母さんひとり守れはしなかったではないか』
「……っ!!」
蘇るあの男の声を掻き消すように、俺は両の手で強く髪を掻きむしった。
「ノア……っ!」
そんな俺の動きを封じ込めるように、身体にの腕が回される。俺はまるで子どものように彼女に夢中で手を伸ばした。
今の俺に残された、たったひとつの―――……
「大丈夫、大丈夫だから……」
処刑されたものだとばかり思っていたあの男とナルビナ城塞の地下牢で対峙した後―――あの時と同じように繰り返し囁かれる言葉に、俺はすがるようにして彼女の身体に顔をうずめた。
「、……っ」
「―――私はここにいるわ、ノア」
のぬくもりとその言葉に、荒い呼吸は少しずつ落ち着きを取り戻していく。だが、鼻腔をくすぐる自分とは違う穏やかな香りを感じながらも、自分の胸に渦巻く闇がはっきりとその形を露にし、広がっていくのを、俺は止めることが出来ずにいた。
2012.2.19
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