L'oiseau bleu〜38〜



私室に戻って真っ先に脱ぎ捨てた着慣れぬ異国の鎧は、闇に包まれた部屋の中でそれだけが鈍い光を放っていた。




調印式のさなかに起こった今回の反乱を、帝国はダルマスカ側の裏切りとして今夜にでも再び兵をダルマスカの首都ラバナスタへと差し向ける。戦力のほとんどを失っているダルマスカが自ら降伏を願い出るのは時間の問題だろう。



そして18年ぶりに顔を合わせたあの男は反逆者として捕らえられた。自国の王を亡き者にした大罪者に成り下がった男には、それに相応しい厳罰が科せられる。―――祖国を、家族を捨てたその罪を、身をもって償う時がやってきたのだ。


その事実に口元が歪んだ瞬間、不意にあの時男に向けられた眼差しが脳裏に蘇ってきた。

あの場所で何が起こったのか、そして自分がどんな罠に陥れられたのか、その状況を察したのであろうその瞬間であったというのに、俺を見つめるやつの目には怒りも、そして憎しみさえも浮かんではいなかった。



なぜ、なぜそんな哀れみを持った目で俺を見る!地獄へ突き落とされているのは貴様の方だというのに―――!!



「くそっ……!」


その瞳の残像を断ち切るように身を包んでいた最後の衣服を身体から抜き去り、先ほど脱ぎ捨てた鎧の上へと叩きつけた。静まり返った部屋で耳に届くのは自分が吐き出す荒い息遣いだけ。いつまでも消えることのないその音を聞きながら顔を上げ、室内灯の明かりに照らされ窓ガラスへと映し出された自分の顔を目にした俺は息を呑んだ。


伸ばされた髪、顎にそって蓄えられた薄い髭。それはまさに、数時間前にこの手で罠にはめたあの男……。


バッシュ―――!


その瞬間、いたたまれない想いが胸を覆い尽くした。その場に留まることができず、まるで何かに駆られるように足をもつれさせながら荒い足取りで寝室へと向かう。そして怒りに震える手で寝台の脇のチェストの引き出しを乱暴に開け、護身用のタガーを取り出した。


「違う!俺はバッシュなんかじゃない!ノアだ!ノア・ガブラスだ―――!」


誰に告げるでもないのにそう叫び、俺は剣先を躊躇うことなく自分へと向けた。







気がつけば、乱雑に髪の毛が散らばった床の上に力なく座り込んでいた。ふと頬に何かが伝う感触を感じて手を伸ばす。小さな痛みの後に指先を染めたのは真っ赤な血だった。衝動に任せタガーで髭をそり落としたせいで出来た傷だろう。だが、皮肉にもこれまで数え切れないほど目にしてきたその赤い血が、俺をゆっくりと現実へと引き戻していった。


何を惑うことがある。これですべてが終わった。俺はあの男に復讐を果たしたのだ―――。


僅かに胸に残ったしこりに気づかぬふりをしながら、自分でも思った以上に大きく息を吐く。そして座り込んだ足元に伸びている柔らかな光に気づいた。それは窓から真っ直ぐに差し込んでいる月光だった。その光に誘われるように立ち上がり、しんと静まり返った深夜のテラスへと出る。空を見上げれば、そこには絵に描いたように美しい満月が浮かんでいた。



―――そうだ、これでいい。これでやっと、俺は過去を切り離すことが出来た。これで俺は、と向き合うことが出来る―――



自分にそう言い聞かせて目を閉じ、同じ光に照らされているだろう彼女のことを想った。



2011.10.29

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