L'oiseau bleu〜37〜



「ラミナスがナルビナへ発った後、ダルマスカ軍にもぐらせているジャッジがすぐに動く予定となっております」
「―――そうか」

椅子の背もたれに身体を預け、ヴェインは満足げに頷く。


「果たしてそれで、かの将軍はやって来るかな?」


そして口元に笑みを浮かべて俺に目を落とした。その視線は長くなった俺の髪に注がれている。


「国王暗殺の動きありと耳にすれば、必ずやあの男は現れます。―――その時こそが、ダルマスカの真の陥落の瞬間となりましょう」


そう、そして同時にその時が、あの男の最期になる―――



「ぬかるなよ?」


頭を垂れたまま強くそう心に刻んでいた俺に向けられたヴェインの言葉は、まるで忠告のように俺へと投げかけられた。







皇帝宮内にある私室へと戻り、身につけていた鎧をすべて取り去って寝室の手前にあるバスルームへと向かう。

シャワーのコックをひねれば、瞬く間にバスルーム内に湯気が立ち上った。顔を上げれば、目の前には湯気を浴びうっすらと白い幕を張った鏡。しばしの間の後、いつもより僅かに力が入った手でその鏡を拭った。


「……っ」


そこに映し出されたのは紛れもない自分の顔―――のはずであるのに、現れたのはあの日ナルビナで目にしたあの男だった。伸ばされた髪、輪郭を覆う髭。それらが加わっただけで、あの男に成り代わってしまう自分には、確かにやつと同じ血が流れているのだと改めて突きつけられたようだった。


「くそっ……」


鏡の脇の壁を力任せに拳で叩き、コックをさらに強くひねった。熱い湯が頭から身体を流れ落ちていく。その熱を感じながら、久方ぶりに顔を合わせたの姿が不意に思い出された。



あの部屋を訪れることが出来なかった間、一体どんなに想いで俺を待ち続けていたのだろうか。涙を浮かべながら「良かった」と俺に手を差し伸べた。ほんの一瞬でも、そんな彼女の心を疑ってしまった自分にどうしようもなく苛立ちを覚えて仕方がなかった。


指先で、あの時がしたのと同じように髪の毛に触れる。目が見えない分、ゆっくりと確かめるように彼女の細い指はこの髪に、頬に触れていた。「切る暇がなかった」と、もっともらしい俺の嘘に頷いた後に見せた不安げなあの表情。おそらく、は何かしら、俺の異変を感じ取ったのかもしれない。


だがそんな自分の姿を、心の内をに知られるのが恐ろしく、まるで拒絶するように伸ばされた手を遠ざけることしか出来なかった。



キュ、と音を立てコックがしまる。髪の先から規則的に雫がバスタブへと落ちていく。


あの男を消し去らなければ。そうでなければ俺のこの胸に渦巻いている憎しみは永遠に消えることはない。俺を苦しみ続けてきたこの感情を一刻も早く消してしまわなければ、俺は前へ進むことは出来ない。


―――と真っ直ぐに向き合うために、俺は……―――








「ダルマスカ軍の兵数名がこちらへ向かって来ている模様です!」
「よし!配置に付け!」


もう間もなくこの部屋へと飛び込んでくるであろう敵兵を迎え撃つために扉の前へと駆け出していくジャッジたちの背中を見つめながら、ヴェインはにやりと笑って俺を見た。

「狙い通りとなりそうだ」

視線だけでその言葉に答え、俺もジャッジたちと同じく扉へと意識を向けた。




―――さあ来い、バッシュ。絶望するがいい。己の非力さを悔いるがいい。貴様が祖国を捨て、新たに守り抜こうとしたものはもうすでにこの世にはいない……!


ぐっと握り締めた拳は微かに震えていた。それは一国の王をこの手で殺めた興奮からか、それともこれから果たす復讐への歓喜からなのか―――。






「くそっ……!!貴様ら謀ったな!!」


数人のジャッジにその身体を押さえつけられても尚、激しく抵抗を見せるその男にヴェインは場違いなほど穏やかに語りかける。


「これはこれは、ローゼンバーグ将軍。このようなところまでわざわざご足労頂き誠に申し訳ない」
「和平を結ぶなどと我々を騙し、初めから陛下を亡き者にするつもりだったか……!!」
「―――それはなんとも人聞きが悪い。最初にラミナス陛下に反逆の企てを働いたのは、貴殿だと聞いているがね」
「……何?」




一歩一歩進むごとに、俺を見止めた男の顔に驚きの色がはっきりと浮かんでいくのがわかった。



「久しぶりだな、バッシュ―――」



目の前に立ちはだかった俺に、男は口元を僅かに震わせ絞り出すように声を発した。


「―――ノア……なのか……?」


自分と同じ姿かたちの俺に、確かめるようにそう問うた男を見下ろす。


さあバッシュ。己が犯した罪を、その大きさを思い知るがいい。そして悔やむがいい。貴様は再び、すべてを失うのだ―――。




「―――俺の名はジャッジ・ガブラス。アルケイディア帝国公安総局第9局のジャッジマスターだ」



2011.10.15

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