L'oiseau bleu〜36〜



ゴー………


今日何度目かになるその音に顔を上げる。それはゆっくりと私の頭上を過ぎていき、これまでと同じように皇帝宮の方角へと向かっていった。随分大きな音だったから、きっと大きな戦艦だったのだろう。


ひんやりとしたテラスの桟に掛けた手に、知らず力がこもる。


あの艦に、ノアは乗っているんだろうか―――。




戦争が始まると、ノアがそう私に告げたのは3ヶ月前。戦いの中心はダルマスカとなるから、このままアルケイディスにいれば安全だと、私を安心させるようにそう言った。

その時、ノアは自分もその戦地へ行くとは言わなかったけれど、あの日から一度もここを訪れないことを思えば、彼もダルマスカへと旅立って行ったのかもしれない。日々が過ぎていくごとに、不安は胸の中で大きさを増し続ける。数日おきにこの街へ届く『帝国有利』の情報も、決して私を安心させるものにはならなかった。けれど私に出来ることは、遠く離れたこの地でただひたすらに彼の無事を祈ることだけ。


どうか、どうか、無事にノアが戻ってきますように。


ノアと私を結び付けてくれたペンダントを握り締め、毎日そう願い続けた。







様!旦那様がお戻りになられました!」

マーサが慌てたように、けれど喜びを滲ませた声で私の部屋へと駆け込んできたのは、帝国軍がダルマスカに勝利したという報せが届いてから2週間後のことだった。思わず座っていた椅子から立ち上がった私の耳に、ずっと聴きたかった声が届く。





「……ノア……!」

その声に、喜びとも安堵とも言い尽くせない想いが湧き上がってくる。自分の目に浮かんでくる涙を拭うことも忘れて、私は足を踏みだした。

「あ……っ!」

少しでも早く彼の元へ駆けつけたいと考えなしに踏み出した身体がテーブルの端にぶつかり、ぐらりと傾く。

!」

けれどすぐに私の身体はノアの腕に抱きとめられた。

「大丈夫か?」

そう問いかけるノアに、大丈夫だともありがとうとも答えずに、私はただその温もりに腕を伸ばした。

「良かった……良かった、ノア……」


出逢ってから、こんなに長い間ノアと離れたのは初めてだった。理由もなく突然会えなくなった訳じゃないのに、それがこんなにも哀しくて辛いものだとは思わなかった。


子どものように縋り続ける私の背に、ノアの腕が回される。

「すまない、心配を掛けたな……」

その言葉に、ノアの胸にうずめていた顔を上げて首を振った。

「本当に良かった……無事に帰ってきてくれて……」

涙を拭いながらそう言ってから、私ははっとする。戻ってきてくれたことが嬉しくて胸がいっぱいになってしまったけれど―――。


「ノア、大丈夫……?どこか怪我なんて―――」

ノアの顔に伸ばした手が、いつもと違う感触を感じぴたりと止まる。

「……ノア?」

躊躇いながら少しずつ動かした手のひらで、ノアの頬に、髪に触れていく。

「髪が―――」

これまで、短く切り揃えられていたノアの髪が、触れただけでわかるほど長くなっている。その伸びた毛先に指で触れた瞬間、ノアの手が私の手をそっと掴んだ。そして、ゆっくりと自分の顔から遠ざけていく。


「―――時間がなくて、切る暇がなかったんだ」


「そう」と口にした言葉は声にならなかった。


どれほど大変な日々を送っていたのだろうノアのことを思えば、その理由は当然なはずだった。でも、どうしてだろう。そう告げたノアの声に、それだけではない何かが隠されているように思えて仕方がなかった。


戦争が始まる少し前から、どこか様子がおかしかったノア。そのことと長くなった髪が関係あるはずはないのに―――。





手のひらからノアの体温を感じるのに。確かにノアはここにいるのに。それなのに、なぜノアをこんなにも遠くに感じてしまうんだろう。



2011.10.10

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