L'oiseau bleu〜3〜



―――娼婦


法律によりこのアルケイディスでも禁じられてはいるが、それはあくまでも表面上のことであり、それを生業としている者たちは多く存在している。同時にその恩恵を受けている者たちの中に、本来ならば取り締まる立場の軍の人間も少なくなかった。そのせいか、よほど問題を起こしたりしない限りは目を瞑るというのが現実だった。

路地裏や街外れでひっそりと営まれている通常のものとは異なるが、あの部屋も娼館のひとつなのだろう。そして、おそらく彼女も……。

心の奥底が、僅かに軋んだような気がした。

だが、俺には何の関係もないこと。彼女がどんな人間であろうと、何をしていようとも、俺が気にすることではない。



気を取り直し再び書類に目を落とした時、執務室のドアが控え目にノックされた。

「ガブラス様」

入室の許可の後、ドアから顔を覗かせたのは俺の秘書官でもある部下の男だった。

「失礼します。実は、ガブラス様のご親戚の方が下のロビーにお見えになっているようなのですが」
「……親戚?」

その言葉を訝しく思い、俺は顔を上げた。こんなところに俺を訪ねてくる縁者などいないはずだ。

「年配の女性の方のようです」

考え込んだ俺に、部下の男はそう付け足した。

「……わかった。すぐに向かう」





「もう、本当に立派になって。あの頃はまだ成人するかしないか位だったかしらねぇ」

目の前の年老いた女は、わざとらしいくらいの笑みを浮かべてそう言った。俺の返答など聞くこともなく、先ほどからべらべらと話し続けていた。高級そうな服に、高価であろう指輪を両手にはめ、どこから見てもその姿は政民以外の何者でもない。

「私たちの血縁からジャッジの高官が出るなんて、本当に鼻が高いわ」
「……それで、ご用件は」

終わりそうもない話をさえぎりそう問いかけると、女はぴたりとその口を止め「ああ、そう、そうだったわね」と、姿勢を正した。

「10年ほど前にバンクール地方に新しい魔石鉱を発掘する話があったのはご存知かしら。ヘネ魔石鉱と同じ規模か、それ以上の。出資者にはそれ相応の見返りがあるって言うから、私たちもその事業に参加したんだけれどね、それがとんでもない話だったのよ!魔法石どころか、飛空石だって出やしない!発掘が打ち切られるまでに、一体私たちがどれだけの資金を出したことか!」

女は一気にまくし立てると、一旦呼吸を落ち着けてから改めて俺に向きなおした。

「そのせいで主人の事業も上手く立ち行かなくなってしまって。なんとかこれまでやってきたのだけれど、このままでは近いうちに屋敷を手放さなくてはいけないかもしれないの……。こんな話をするのは恥ずかしい限りなんだけれど……いくらでも構わないわ。援助をお願いできないかしら?」

悪びれる風もなく、女はさらに言葉を続ける。

「それと、あなたの方から軍に口添えをして欲しいの。軍や政府とつながりを持てればこれから先も安泰だわ。ね、お願いできるかしら?―――あなたも、お母様の生まれた屋敷がなくなるのは、お辛いでしょう?」


ガタン、と音を立てて椅子から立ち上がった俺に、女は驚いたように顔を上げた。

「申し訳ありませんが、ご期待にはお応えできません」
「な、なんですって!?」
「私には、あなた方にそのようなことをする義務も理由もありません」

その言葉を聞くと、女は目を見開いて立ち上がった。

「あ、あなた!仮にも主人はお母様の兄なのですよ!?」
「ええ、そうだったかもしれません。けれど母が父と結婚をする時に、ご主人の方から縁をお切りになられたはずでは?」
「そ、それは……!」
「10年前、私があなた方を訪ねた時、あなたは同じことをおっしゃっていました。『この家の人間でないものに関わる義務はない』と」



流れ着いたばかりのアルケイディスでやっとありついた仕事だけでは、毎日食いつなぐのがやっとだった。日増しに悪化する母の病を何とかしてやりたいと、やっとのことで母から聞きだした母の実家を訪れたのは10年前。必死でかき集めたリーフを手に訪れた政民居住区は、当時の俺には雲の上のようだった。だからこそ、ここでなら母の病気も良くなるのではと、期待に胸を膨らませていた。だが、そこで俺を迎えたこの女と、女の主人でもあり、母の実の兄でもある男は、俺を一瞥するとろくに話も聞かずに早々に屋敷から追い出したのだ。

母だけでいい、せめて母の病に相応の治療を―――。その俺の願いは、聞き入れられることはなかった。



「お引き取りください」

そう言い放った俺に、女は顔を真っ赤にして何かを言おうと口を開いたが、何も言えぬままその場に立ち尽くしていた。

「それと、もうこちらにはいらっしゃらないでいただきたい。万が一、再びいらっしゃるようなことがあれば、部外者としてそれ相応の対応をさせていただきます」

怒りと絶望に顔を歪めた女の顔を視界の端に捉え、俺は背を向けてその場を辞した。





「……くそっ!!」

壁を殴りつけると、その反動ですぐそばの棚の中のグラスが倒れた音がした。だが、不思議と痛みは感じなかった。それよりも、本来ならば伯母であるあの女の言葉が頭を駆け回っていた。

母に手を差し伸べる金は持ち合わせておらずとも、私欲のためには金は惜しまなかったというのか……!どうせ、どこからか俺が軍の上層部に上り詰めたことを聞き、10年前の行いを振り返ることもなく、金の無心に来たのだ……!



援助を得られず戻った俺に母は何を聞くこともなく、ただ「ごめんね」と一言だけ口にして俺の手を取った。辛いだろうに、苦しいだろうに、そんなことは一度も口にはせず、母は1日中働き続ける俺のことばかり気遣っていた。



やり場のない怒りと哀しみに、身体を蝕まれそうだった。






「やっぱり来たんだね」

卑しい笑みを浮かべてそう言う女の後を、俺は黙ったままついて行った。足下の階段は、あの時と変わらず微かに音を発している。

どんなに酒を煽っても消すことの出来ない黒い感情を持て余した俺は、自室のテーブルに放り投げたままだったあの連絡先の書かれた紙を手にしていた。女を抱いてどうにかなるものではないとわかっていても、あのまま1人でいるとどうにかなってしまいそうだった。



前を歩いていた女は、懐から鍵を取り出すと重厚なドアの鍵穴にそれを差し込んだ。

「さあ、どうぞ」

促されるまま、俺はゆっくりと部屋に足を踏み入れた。そして部屋の中を見渡して驚いた。ぼんやりとした灯りが照らし出された部屋は、想像していたよりもひどく質素なものだった。

「奥の部屋でお待ちかねだよ」

立ち尽くしたままの俺に、女は声を掛けた。

「明日の朝まではあんたの自由だ。ああ、あの子の名前は『』だよ」

そう言うと、女はくるりと踵を返して部屋を出た。そして、ドアの外からがちゃりと鍵を掛ける音がした。その音にドアに目をやって、俺は目を見開いた。

「お、おいっ、待て……!」

ドアのノブに手をかけて叫んだが、女は戻ってくることはなかった。舌打ちをしたのと同時に、背後からドアの開く音が耳に入った。その音に振り返ると、そこには奥の部屋から現われた彼女……の姿があった。

壁に手をつきながら数歩足を進めてこちらを窺うような仕草を見せ、はゆっくりと口を開いた。

「その声……あなたは、あの時の人でしょう?」




俺はその時初めて、彼女の目が見えないことを知った―――。



2010.4.17

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