L'oiseau bleu〜2〜
「やはり、ロザリアの動きは見逃せんな……」
ジャッジ・エネはそう言うと、右手の中指で執務机を一定のリズムでゆっくりと叩き始める。この仕草は、彼が頭の中で何かを思い描いている時の癖だ。
「ご苦労だった、ガブラス。後ほど、陛下にも私からご報告申し上げる」
了解の意味で頭を下げ、自分の仕事が終わったと部屋から出ようとした時、不意にジャッジ・エネが俺を呼び止めた。
「ガブラス」
再び彼に向き直りその顔を窺う。彼の白髪を窓から差し込む日の光が照らしていた。
「この軍に仕えて何年になる」
「……ちょうど10年になります」
「そうか」
ジャッジ・エネは呟くようにそう答えると、伏せていた目をこちらに向けた。
「私も気づけばジャッジ・マスターの中でも最年長となってしまった。いくら前線に立つことが少ない9局の任務とはいえ、そろそろ潮時かと思っている」
「そのようなことは―――。ご経験を重ねてきたからこそ、果たせる任務かと思いますが」
「ふっ。嬉しいことを言ってくれるものよ」
彼はゆるりと笑んで、両手を組んだ。
「老いのせいだけではない。私は離れたところから眺めてみたいのだ。……このアルケイディアの、イヴァリースの行く末を」
皇帝宮の長い廊下を歩きながら、両側に配置された大きな窓から眼下に広がるアルケイディスの街を眺めた。立ち並ぶ背の高い建物の間をエアタクシーがひっきりなしで飛び交っている。
生きるために母国の敵である帝国に流れ、母国を滅ぼした軍に従い尻尾を振り続け、気がつけばアルケイディス軍第9局の副官にまで上り詰めていた。他人から見れば、上手く成り上がった成功者とも、惨めな負け犬だとも思われるのだろう。この国で生き始めた頃から見れば、充分すぎるほどの金も暮らしも手に入れた。だが、母を亡くした時からそれも無意味なものになってしまった。この憎むべきはずの国で、何のために生きているのか……。
『私の後継にはぜひ貴殿をと思っている。今帝国に必要なのは金でも家柄でもない。貴殿が持っているような、揺るがない実力なのだ』
進んだこの先に、一体何があるのだろうか―――。
気がつけば、俺はあのアパートメントの前に来ていた。1ヶ月前、扉の向こう側で笑みをこぼした女は、今日も変わらず最上階のあの部屋の窓からただぼんやりと空を見上げている。銀糸の長い髪を風に揺らしながら……。
なぜ、ここに来てしまったのかは自分でもわからなかった。ただ無意識に街を歩き回り、辿り着いたのがここだった。
―――何をやっているんだ、俺は……
そんな自分に狼狽し、彼女から目を逸らしてそこから立ち去ろうと足を踏み出した時だった。大通りからこの路地へと入ってきた1人の女がこちらをじっと見つめていた。頭に白いものが混じり始めている年頃で、やけに派手な化粧が目に付いた。人を探るような視線が不快で、俺は足早にその女の横を通り過ぎようとした。が、すれ違う瞬間、その女は低い少し掠れた声で俺を呼び止めた。
「お待ちなさい」
無言のまま振り返ると、女はにやりと口端をあげた。
「あんた、客かい?」
「……客?」
女はくい、と顎を上げる。
「あの女のだよ」
女が指し示した先には、彼女の姿があった。
彼女の、客―――?
女は俺の困惑など気にも留めず、べらべらと一方的に話し続けた。
「あんた初めての顔だね。誰かに聞いてきたのかい?ああだけど、今夜の相手はもう決まってるんだよ。今度からここに連絡してから来るんだね」
持っていたバッグの中から紙切れを取り出しペンを走らせ、女はそれを俺に押し付けるように渡した。そして、再び嫌な笑みを浮かべてから、あのアパートメントへと入っていった。
俺は呆然とその背を見送ってから、手の中にある紙切れに目を落とした。そこにはこのアパートメントの1室の部屋番号が書かれていた。
『あんた客かい?』
『今夜の相手はもう決まってるんだよ』
さっき女が口にした言葉が頭の中を駆け巡った。そこから、俺の中である答えに辿り着いた。
彼女は―――……。
2010.4.9
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