L'oiseau bleu〜29〜



「おまえは俺のものだと言っただろう?」

微かに笑みを含んだような声が、私の耳元で囁かれる。その声と共に、じわり、じわりと内側から全身に痛みが広がっていく。その声から逃れようとしたけれど、身体はぴくりとも動いてはくれない。

「たとえあの部屋から逃れても」

―――やめて、聞きたくない!お願い!

そう叫びたいのに、私の喉からは僅かに息が漏れていくだけで、何の音も発せられることはない。もがいている私を嘲笑うように、男の声がよりはっきりと私の全身を捕らえた。


「―――おまえがしてきたことは、消えはしないんだよ―――」




「……っ!!」

必死にもがいてその声から逃れた瞬間、耳に入ってきたのは荒い呼吸の音だった。震える手を喉元にあて、その呼吸が自分から出ているものだと気づく。

「……夢……」

そう呟いた声は静かに部屋に溶けていく。

あの日以来、私は何度も同じ夢を見ていた。私を連れ去ろうとした男……あの部屋で、狂気に満ちた声で私に手を上げたあの男の―――。


ベッドから降りて壁伝いに足を進め、その先にある窓を静かに開けてバルコニーに出た。まだ夜明けまで時間があるのだろう。耳に届くのは建物の間をすり抜ける風の音だけだった。汗ばんだ身体には、その風がひんやりと心地が良い。


あれからすぐ、私たちはこの新しい部屋へと移った。皇帝宮のすぐ傍にあり、以前よりもさらに上層区に位置するこの部屋。ここへやって来た日、ノアは自分がアルケイディア軍に身を置いていることを私たちに打ち明けてくれた。無駄な心配を掛けたくはなかったから、今まで伝えることが出来なかったのだと。

あれ以来、あの日のことを私に何も話すことはしないけれど、ノアはきっともうあんなことが起こらないようにと、そう考えてくれたんだろう。だから、たとえ政民であっても限られた人しか足を踏み入れることが出来ないという地区にあるこの部屋を、新たに与えてくれたに違いない。

ノアの心遣いは本当に嬉しかった。けれど、それと同時に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。私は一体、どこまでノアに迷惑を掛けてしまうのだろう。

忘れていたわけじゃない。けれど、胸の奥にしまっていた消せない事実をまざまざと突きつけられたような気がした。


―――おまえがしてきたことは、消えはしないんだよ―――


夢の中の男の声が、再び耳にこだまする。その声を振り払うように、目を閉じて自分の身体を強く抱きしめた。



2011.5.15

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