L'oiseau bleu〜27〜



「現在表向きはナブラディアとの友好を保ってはいますが、徐々に自国軍をナブラディア国内に配置させる目論見があるようです。その動きに賛同するナブラディア内部の親ロザリア派の動きも確認できました」
「―――ナブラディアへの進攻で土台を固めようという魂胆か」

俺の報告にヴェインは表情を変えることなくそう呟いた。

グラミス皇帝の三男でもあり、次期皇帝候補との呼び声が高いヴェイン・カルダス・ソリドール。皇帝の執務補佐という立場を保ってはいるが、ここ最近は体調の優れない皇帝に代わり、アルケイディア軍の実権を握り始めていた。確かにその実力は誰もが認めるところではあるが、何を考えているのか読めない男でもある。

「ガブラス、引き続きロザリア、並びにナブラディアの動きを探れ」
「承知しました」
「他のものたちもいかなる時でも動けるよう、準備を進めておけ。―――必ずや、近いうちにその時が来る」




「いよいよだな」

軍議を終え、執務室へと戻る道すがら声を掛けてきたのはザルガバースだった。隣に並び歩みを揃える彼を兜越しに見遣り頷いた。

「おそらく、帝国にとってもこれまでにない長い戦となりましょう」

相手がアルケイディアと肩を並べるほどの大国のロザリアが相手となれば、そう簡単には勝利を手にすることは出来ないだろう。―――力の差が始めから明らかだった16年前の小国のようにはいくまい―――。

無残に敗れ去った祖国を思い、俺はひそかに兜の下で眉を寄せた。


「だがそうなれば、君もいささか寂しい思いをすることになるな。愛しい女性に会うことも容易には出来なくなる」

その言葉に、脳裏にの顔が浮かんだ。ザルガバースの言うとおり、戦争が始まれば前線間際まで赴くことになるだろう。たとえ帝国内にとどまったとしても皇宮から出ることはままならないことになるのは明らかだ。

「……ええ、そうですね」

そう口にすれば、ザルガバースが「おや」というように声を漏らした。数ヶ月前と反応が違う俺に何かを感じ取ったらしい。

「ほう、それならばその前に婚姻を結んでしまえばいいのではないか。配偶者であれば、皇宮内にも足を踏み入れることも出来るようになる」

兜越しでもわかるほど楽しげな声色になったザルガバースに、俺は適当に相槌を打った。

「その時は遠慮なく私に声を掛けてくれ。私の妻も喜んで君の新妻の力になりたいと申し出ることだろう」

そう言うと、ザルバースは以前と同じように俺の肩に手を置いてから自分の執務室へと入っていった。俺はその背中が扉の向こうに消えるのを見送ってから、止めていた足を再び踏み出した。




を妻に―――。


それは俺の中でも、以前から心に留めていたことだった。

に確かな形で、これから先の人生の安寧を約束してやりたかった。そしてもちろん、それはだけではなく、俺自身のためにも―――。

彼女とならば、これから先の人生を共に歩んで行ける。もうとうの昔に諦めていた人並みの幸せというものを作り上げることが出来ると、そう信じることが出来た。

だが、これから迎えるこの混乱の中に、彼女を巻き込みたくはなかった。今、ことを急いでもを不安にさせるだけ。だからロザリアや諸外国との諍いが落ち着いたその時にこそ、俺はにこの気持ちを伝えようと心に決めていた。


その時、彼女は一体どんな表情をするだろう。突然のことに、驚いてしまうだろうか。それとも、顔を真っ赤にしてしまうだろうか。―――それからいつものように微笑んで、頷いてくれるだろうか。


そんなことを思いながら、日の沈み始めた町を歩く。それはひどく幸福な時間だった。未来を思うことなど、この国にたどり着いてからは一度たりともなかった。けれどそれが今、確かに自分の手の中にある。その事実を噛み締めれば、自然との待つ部屋へと向かう足が速くなっていくようだった。




『―――ノア―――』


広場からの部屋へと続く坂道を登り始めた時、不意に自分の名を呼ばれたような気がして振り返った。

……?」

だが、そこにはの姿はない。彼女のことを考えていたばかりに、そんな気がしてしまったのだろうと、向き直ろうとした瞬間、広場からこの坂道とは逆の方へと抜ける路地に目が止まった。たった今、路地の向こうへと消えた人影―――。

まさか、と思いながらも急いで坂を下って広場を横切り、その路地へと駆け出す。なぜこんなところに、という困惑と共に、言いようもない不安が胸を占めていく。建物に挟まれたその路地へ入って間もなく、再び目に入った見間違うはずがない後姿。その姿を目に留めた瞬間、不安が確かなものへと変わる。

の前を歩く一人の見覚えのない男。男はの手首を取り、まるで引き摺るように路地を足早に進んでいた。

!!」

叫んだ俺の声に、と男の足が止まった。振り返って俺の姿を見止めた男が怯んだ隙に、その差をつめた。彼女を連れたまま慌てて逃げ出そうとする男の手首を掴む。

「貴様!何をしている!!」
「くっ……!!」

男の手首を掴む力を強めれば、男は呻き声を上げての腕をその手から離した。

!」

男の身体を傍らの壁へと投げつけ、腕を開放された勢いでその場に倒れこんだに駆け寄る。

「大丈夫か!?」
「……っ!」

抱き起こそうとその肩に手を掛けた瞬間、は身体をびくりと震わせ、拒絶するように俺の手をその手で振り払った。ぱしん、という乾いた音と、行き場をなくした俺の手が、宙に留まる。

……?」
「あ……ノ、ア……」

自分の行為に驚いたように、は自分の右手を反対の手でぎゅっと握りしめるが、その身体は微かに震えていた。

「ははははは……!」

突然発せられた甲高い笑い声に顔を向ければ、あの男が立ち上がりながらこちらを見ていた。ゆらりと身体を揺らし、さもおかしそうに笑い続ける。


「お姫様を守るナイトのつもりか?くくっ、だが所詮おまえも俺と同じだろう?―――を金で買ったんだろう?」


その言葉を聞き、俺はこの男が何者なのかを悟った。

この男は、あの部屋でを―――。


「ぐっ……!!」

ダンッ、と男の襟元を掴みそのまま身体を壁へと押さえつけた。痛みに男が声を上げるが、力を弱めるつもりはなかった。湧き上がる怒りで、己の身体が熱を帯びていくのがわかった。

「もう二度と、彼女の前に現れるな……!」

の耳に届かないように、声を押し殺して目の前の男に言い放つ。

「再び現れてみろ!その時は―――」
「あ……ぐぅっ……」

ギリギリと男の喉下を締め上げれば、次第に男の顔が青ざめていく。

「わかっているな……!」

口を大きく開けながら、男はまるで壊れた人形のように何度も頷いた。その顔を、憎しみを持って睨みつけてから、俺は男の身体を石畳の道へと再び投げつけた。

「げぇほっ……!ひ、ひぃぃっ!」


咳き込み、足をもつれさせながら男が逃げ出した後、俺はもう一度の傍へと跪いた。


……」
「ノ、ア……」

搾り出すように、が口を開いた。

「ごめ、なさ……ごめん、なさい……」
……」

まだ震えの止まらないの身体を抱き寄せた。

「謝るようなことを、君は何もしていない。だから―――」



俺はただ、身体を震わせながらうわ言の様に謝罪を続けるの身体を抱きしめ続けることしか出来なかった。



2011.4.24

back  /  next