L'oiseau bleu〜25〜



街に降り注ぐ陽射しは日に日に暖かさを増していき、高層の建物の隙間を埋めるように植えられた木々は徐々に芽を膨らませている。


『雪が降れば、またあなたと一緒にあの公園に行けるかもしれない』


そうは願ったが、あの日以来雪が降ることはないまま、帝都アルケイディスは短い冬を終えようとしていた。


そしてイヴァリース内にひそやかに沸き起こり始めた近隣諸国同士の緊張状態のせいもあり、俺はこれまで以上にジャッジマスターとしての職務に追われ、結局どこへも彼女を連れ出すことが出来ないままの日々が続いていた。

雪に触れ、あんなに無邪気にはしゃいでいたの姿を見て、俺はもっと彼女に外の世界を感じさせてやりたいとそう思った。今までずっと遠ざけられていた分、それを少しでも取り戻してやりたかった。それなのに―――。



「こうやってノアの話を聞くだけで楽しい」


「すまない」と詫びる俺に、は笑顔で答えた。おそらく仕事に忙殺されている俺を気遣っての言葉なのであろうが、それが彼女の本心なのだということもわかれば、ますます彼女への愛おしさが募っていくのを感じずにはいられない。





7日ぶりにの元を訪れる道すがら、ふと目に入ったのはアンティークショップのショーウィンドウに飾られた木箱だった。美しい細工が施されたそれに誘われるように、俺は店内に足を踏み入れた。

「そこに飾られているものを見せてもらえないか」
「ああ、あのオルゴールですね」

初老の店主の言葉で、それがオルゴールであったことを知る。店主はオルゴールを手にすると、底についているねじを数度回してから俺に手渡した。受け取ったそれは滑らかな手触りで、深い色調の木目がそれがだいぶ前に作られたものだということを感じさせる。俺はそれをじっくりと眺めてから、草花を表したものであろう繊細なモチーフがかたどられた蓋をゆっくりと開けた。


その瞬間、流れてきた曲に俺は息を呑んだ。

穏やかに流れてくるそれは、決して忘れることが出来ないほど遠い昔に生まれ故郷で何度も聴いた調べ―――。

「お客さん、お目が高いね。それはもう今じゃ手に入れるのが難しい代物だよ。何せそれを作っていた職人がいた国は、もうなくなってしまったからね」

20年近くも前に去らざるをえなかった故郷を思い出させる物との思いがけない出会いにひそかに心を乱している俺に、店主は得意げにそう言った。その言葉に、懐かしさとも郷愁とも違うえもいわれぬ思いが湧き上がる。

やはり思い違いではなかった。この曲は……。

「もうだいぶ前になくなってしまった国だから知らないかもしれないが、それが作られたのはランディスっていう―――」





わけもなく惹かれたのは、やはり生まれ育った故郷への思いがまだ俺の中にも残っているからだったのだろうか。

俺は手の中にあるあの店で買い求めたオルゴールに目を落としてそう思った。

帝国に敗れ、歴史からその名を消してしまった祖国。もう記憶からも消え行くのではないかと思っていたその国の名を、まさかあんな街の片隅の店で耳にすることになろうとは……。

「ノア……?」

その声にはっと顔を上げれば、が心配そうな表情でそこに立っていた。自分が部屋に戻ったことにも気づかずにいた俺を不安に思ったのだろう。

「ああ、すまない。なんでもないんだ」

そう言ってから、俺はの手を取ってソファに座らせた。

「これを」

の手にあのオルゴールを乗せると、戸惑ったような顔を見せた。

「気に入ってくれるかわからないが―――君にもらって欲しい」
「……私に?」
「ああ」

が指先でそれをなぞっていく。底のねじに指が触れるとそれが何であるのか気づいたのか、「開けてもいい?」と俺に尋ねた。「もちろん」と俺が頷くと、嬉しそうに頬を緩ませたはゆっくりとその蓋を開いた。そして、再び流れ出すあのメロディ―――。

「綺麗な曲……」

静かに耳を傾けていたがそう呟いた。彼女がそう言ってくれたことが、嬉しくもあり、切なくもあった。この曲はランディスに古くから伝わる子守唄だった。帝国出身の母が初めて覚えた異国の歌―――。

「俺の生まれた国の曲なんだ……」

きっとは俺が帝国出身の人間であると思っていたのだろう。そう答えれば、微かに驚いたようにが顔を上げた。

「ノアの、生まれた国?」
「ああ。ランディスという小さな国だ……」

帝国生まれのに、自分の祖国がこの国に滅ぼされたのだとは言えなかった。

「亡くなった母は、よくこの歌を歌ってくれた。……俺と兄さんを寝かしつける時にいつも―――」
「お兄さん……?」

自然と口をついて出た言葉に、以上に自分自身が驚いた。

いつの頃からかあんなに憎んでいた兄のことを心に思うことはほとんどなくなっていた。あの男の行いを許したわけではなかったが、もうその存在は今の俺からはかけ離れたところにあった。

「―――双子の兄がいたんだ。両親でさえ一目では見分けることが出来ないほど似ていて。いつも一緒だった。……だが、17の時にあいつが家を出て―――それきりだ」」

俺の話を黙って聞いていたの表情が曇る。俺は思わず彼女をこの腕に引き寄せた。

「……が気に病むことじゃない」
「でも……」

そう、あの男とは道を違えたのだ。これから先会うこともないだろう。もう俺には過ぎ去った過去など必要ない。俺が唯一必要なのは―――。


「俺は、君さえいてくれればそれでいい―――」


の首筋に顔をうずめれば、鼻先にがつけていたペンダントのチェーンが触れた。俺たちを引き合わせたそのペンダントの鳥と、耳に届く懐かしいメロディを感じながら、俺は静かに目を閉じた。



2011.2.22

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