L'oiseau bleu~20~
ドリーム小説
出来るだけ音を立てないように、そっと扉を閉める。振り返りベッドに横たわる部屋の主の顔を見遣れば、まだ深い眠りについているようで、呼吸に合わせてわずかに寝具が上下していた。
マーサが部屋をあける3日間、いくら身の回りのことが自分自身で出来るようになったとはいえ、レイラをひとり残すのは躊躇われた。だが、俺自身どうしても外せない任務が重なり、さらに「心配は要らない」という彼女の言葉に説き伏せられ、俺もマーサも首を縦に振らざるを得なかった。
だが幸いにも、俺の落ち着かない心を読み取ったかのように、急遽予定されていたヘネ魔石鉱への渡航が中止となったため、俺は雑務を片付けてからレイラの元へと急いだ。
今回ばかりはヴェインの気まぐれに感謝せねばなるまいと、そう思いながら部屋の前に立った時、俺の耳に大きな物音が飛び込んできた。この部屋の中から聞こえてきたのは間違いない。妙な胸騒ぎに襲われ、扉を叩き彼女の名を呼んだが返答はなく、俺は鍵がかかった扉を体当たりで無理やりこじ開け部屋へと足を踏み入れた。
そして俺の目に飛び込んできたのは、意識を失って倒れているレイラの姿だった―――。
『ゆっくり身体を休めれば、2,3日でだいぶ元気になると思います。―――ここ最近はよく休めていなかったのでしょう。何か、心当たりはありませんか?』
決していいとは言えない顔色のレイラを見つめていると、先ほど見送った医者の言葉が頭の中によみがえってきた。
レイラの微かな異変に気づいていただけに、こんなことになるまで何も出来なかった自分が腹立たしかった。握り締めた拳に、無意識に力が入る。
自分が与えたこの部屋で、彼女は幸せに暮らせているのだと、そう思い込んでいた。
彼女に何があったのか、どうにかして知る事だって出来たはずではないのか。だがそれを、まるで見てみぬ振りをするように、わかろうとさえしなかった―――。
「……っ……」
微かに漏れた声に、俺は視線を彼女へと戻した。
「レイラ?」
呼びかけると、レイラは小さく息を吐いてから、ゆっくりと瞼を開けた。その瞳に自分が写らないとわかっているのに、俺はそれを覗き込むように身を乗り出した。
「気が付いたか?」
俺の声にレイラは困惑したように2,3度その瞳を彷徨わせた。
「ノア……?」
「ああ、そうだ」
「どうして……」
そう言って、両の手を支えにレイラはその身を起こそうとした。
「まだ横になっていた方がいい」
だが、俺の制止を振り切るように、彼女は首を振った。
「大丈夫、ですから……」
「君は倒れたんだ。平気なわけないだろう」
それでも、まるで俺を遠ざけるようにレイラは「大丈夫だ」とそう繰り返した。
「―――何が、あった?」
レイラの肩に手をかけ、意を決してそう問えば、彼女の肩はびくりと揺れた。
「……何を悩んでいる」
「何も―――……」
俺から顔をそらしたまま、レイラはそう答えた。だが、それが嘘を付いているのだということは明らかだった。今、その嘘を受け入れてしまえば、レイラはこの先も何かに悩まされたまま。それを見過ごすことなど出来ない。
「なんでもいい。思っていることがあったら言ってくれ。このままでは、君の身体が参ってしまう」
レイラの俯いたままの横顔を見つめながら、辛抱強く彼女の口から言葉が漏れるのを待った。レイラの手が、ぎゅっとシーツを握り締める。
「……ここを、出て行こうと思っています―――」
その言葉に、今度は俺が言葉を失った。
―――出て行く?ここを?
「……なぜ…だ?」
絞り出した声は、僅かにかすれていた。
「……私は、ここにいても何も出来ない。あなたの傍にいては、いけない人間です」
「なぜ……?なぜそう思う?」
思いもよらなかったレイラの言葉に、彼女の肩に置いた手に力がこもる。レイラはそれからも逃れるように、さらに顔を俯かせた。
「俺は、君にとっては不必要な人間なのか―――?」
「っ、違う……!!」
レイラは首を強く振ってそう口にした。
「じゃあ、なぜだ?なぜここにいてはいけないんだ!?」
「それは……っ」
やっと上げたレイラのその顔は、苦痛に満ちていた。そして、続く言葉を言いあぐねるように一度口を結んでから、ゆっくりと震える唇を開いた。
「それは、私が娼婦だからです―――」
その言葉とともに、レイラの瞳から涙が一粒こぼれた。俺はレイラの両肩を掴み、言い聞かせるように彼女に告げる。
「違う!君は娼婦などではない……!」
「いいえ、私は……っ」
堰を切ったように次々と溢れる涙の雫は、彼女の頬を伝って白い寝具へと落ちていく。
「だから私は……あなたを愛してはいけないんです―――」
「なんの躊躇いもなくあなたを想うことも、娼婦としていることも……どちらも出来ないのなら―――いっそこのまま見放してください―――」
腕の中に引き込んだレイラの細い身体を感じ、俺は無意識のうちに自分が彼女を傷つけていたことと、己の気持ちに気づけなかったことの愚かさを知った。
2010.12.5
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