L'oiseau bleu〜18〜



ドリーム小説 「今日からここで男の相手をなさい」


あの部屋に初めて足を踏み入れた時のことを、今でも昨日のように覚えている。

私の前にほとんど姿を現さなかった叔母が、あの日私に与えられた屋敷の部屋を突然訪れた。そして、訳もわからぬまま連れて行かれたあの部屋。


「今まで面倒見てやった恩を忘れたとでもいうの?目の見えないお前を引き取って、どんなに大変だったか!」
「お願い、叔母様!他の事だったらなんだってするから……だから……っ!」
「目の見えないおまえに他に何が出来るっていうの?―――おまえの母親は野垂れ死にそうなところをお義兄様に拾われのよ。一体どうやってお義兄様に取り入ったんだか。大方、身体を売って食いつないでいたのだろうから、お義兄様のこともそうやって騙したに違いないわ。ああ、汚らわしい……!」
「……っ、違う!お母様はそんな……!」
「黙りなさい!どうせおまえになんて何も出来やしないんだから!―――あの女の血が流れているおまえなら、同じように男を悦ばせることくらい簡単に出来るはずよ!」




まるでそこだけ切り離されたようなあの部屋だけが、それからの私にとって世界の全てだった。




私は目が見えなくなって良かったと、初めて心からそう思った。

全てが終わるまでただ静かに心を殺していればいい。そうしてさえいれば、私の上に跨っている男の顔も、自分の醜い姿も見なくて済む―――。



あの部屋で唯一外の世界を感じられるあの窓から、そこに広がっているだろう空を見上げながら過ごす時だけ、私の心は安らいだ。

少しの勇気を出せば、いつでも私は自由になれる。お父様もお母様も、そして神様もお赦しにはならないだろうけれど、この窓から、空を飛び回っているあの鳥のように飛び立てば、2人の元へ行ける。―――全てを終わらせることが出来る―――。

毎日、毎日、そんなことばかり考えていた。



それでもそうしなかったのは、心のどこかで、父や母と暮らしていた時のような『幸せ』と呼べる日々が再び訪れるんじゃないかと、そう思っていたからだった。


『きっとも、うんと幸せになれるわ』


母が私に遺してくれたあのペンダントを握り締めると、不思議とそう信じられた。




だけど、どんなにそう信じても、私は幸せになどなれるはずはなかった。私があの部屋で過ごしてきた日々は、決して消すことは出来ない。





「ありがとう」

その声とともにノアがカップを手にする音が聞こえた。私はその音を、まるで心に刻むかのように、ただ静かに聞いていた。



ほんの少しの間でも、一緒に時間を過ごして、話をして。それだけで良かったはずなのに―――。



引き返せると、想いなどすぐに消すことが出来ると、そう思っていた。

けれど、会いにきてくれれば、もっと傍にいて欲しいと思う。話をすれば、もっと声が聴きたいと思う。

諦めよう、そう思えばおもうほど、想いは膨らんでいく―――。




私をあの悪夢のような日々から救い出してくれたノア。この部屋で、彼を笑顔で迎えることだけが、私が彼の優しさに報いることが出来る唯一のことだと、そう思っていた。





呼びかけられた声に、私は一瞬間をおいてから俯いていた顔をあげた。

「どうした?飲まないのか……?」

ノアはきっと、私の変化に気づいている。少し前から微かに不安が滲み始めた声。けれど私は、そ知らぬふりをしていつものように答える。

「いいえ。いただきます」

口にしたハーブティーは、少しも味が感じられなかった。




―――私は今、ちゃんと笑えているだろうか。



2010.11.13

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