L'oiseau bleu〜17〜



ジャッジ・エネの勇退を受け、俺は第9局のジャッジマスターの座に就いた。


帝国に流れて苦汁を味わいながらも、ついに辿り着いたこの座。だが、そのことに感慨も達成感も、帝国へ対する優越感さえ微塵も抱くことはなかった。

俺自身が求めていたのはこの場所なのか。敗戦国の流れ者だと嘲笑われ、見下されても、欲したのはこの地位なのか。その自分自身への問いに答えが出ることはなかったが、ただ流されるように過ごしてきた日々は、少しずつ色を変えているように思えた。


こんな自分でも、ここで生きていく意味があるのではないか―――。


まだ過ごし始めて日の浅い広い執務室から帝都の街を眺め、俺はあの部屋に想いを馳せた。





慣れぬ業務に忙殺され、やっとの元を訪れることが出来たのは、あの日から1ヶ月以上が過ぎた頃だった。

あの日、再訪の約束を笑顔で交わしたは、一体どんな顔をするだろう。あの時と同じように、嬉しそうな表情で俺を迎えてくれるのだろうか―――。

柄にもなくそんなことを思いながら、言いようのない高揚感と少しばかりの緊張感を持って部屋のドアを叩いた。



「ノア―――」


だが、俺は久方ぶりに顔を合わせたに微かな違和感を抱いた。


マーサとともに俺を迎え入れる時の笑顔も、お茶を淹れる動作も、それを飲みながら交わす会話も、一見すればこれまでとなんら変わりがないように思える。


何がおかしいのか、そう問われればうまく答える言葉が見つからない。だが、例えるのなら、がひどく遠くにいるような、そんな気がした。こんなにも、近い場所にいるというのに。




「……変わりはないか?」

そう問いかければ、はいつものように微笑を浮かべて答える。

「はい」
「―――そうか……」

俺の言葉にはもう一度「はい」と頷いて、静かにカップを口元へ運んだ。彼女がお茶を飲み込む姿を、俺はただ黙って見つめた。




に何か変わったことはなかったか?」
「ええ、特には……。ただ少し、食欲が落ちていらっしゃるようですが、夏の疲れからのようだとそうおっしゃられていますが」
「そうか……」

マーサは不安げな表情を浮かべて俺を見上げた。

「……様に何かございましたのでしょうか?」
「いや、心配ない。しばらく顔を出すことが出来なかったから、その間に困ったことなどなかったのか気になっただけだ」

そう告げれば、マーサはほっとしたようにため息を吐いた。

「俺も出来る限り時間を作るようにはするが、これからもを頼む」
「はい、おまかせくださいまし!」

胸をどんと叩いたマーサの顔に、俺はつられて口元を緩めた。






「ガブラス」

呼びかけられた声に振り向けば、いつの間にやって来たのか、ドレイスがこちらを窺うように立っていた。

「どうした、浮かぬ顔をして」
「―――そんなことはない。第一、兜をかぶっているのに表情など見えるわけあるまい」
「そうか?微動だにせずじっと外を眺め、背後を取られても気づかぬのに、か?」

兜の中から聞こえる声はどこか楽しげで、彼女の表情が兜の外からでも容易に想像できた。

「卿ほどの男を悩ます心配の種をぜひ知りたいものだ」
「―――慣れぬ職にいささか疲れているだけだ」

そう答えて、俺はジャッジマスターの証でもある真っ赤な紋章の入った漆黒のマントを翻してドレイスに背を向けた。





あれから1ヶ月の間に一体に何があったのか、俺には知るすべはなかった。


それがもどかしいと、やるせないと、そう思ってしまうのは、俺の中で確実に何かが生まれている証であったのに、俺はそのことにまだ気づけずにいた。



2010.10.24

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