Sognate〜1〜




チョコボの羽根で作った使い慣れたハタキで棚の埃を払ってから、ほうきで床を掃いていく。それから、カウンターの上を良く絞った布で拭く。一通りの掃除を終えてから壁にかけた時計を見上げて、私は入り口のドアを開けた。


「やあ、おはようテミス」
「おはようございます、コティさん」
「今日も暑い日になりそうだ」


そう言ってコフィさんは笑いながらお店の中に入っていった。空を見上げると、コフィさんの言うとおり真っ青な夏の空が広がっている。私はひとつ伸びをして、ドアに掛けているプレートをくるりと回して1日のスタートを切った。





アルケイディス郊外のこの場所に曾祖父が開いた古書店を、父から譲り受けたのは2年前。幼い頃からの遊び場でもあったそこは、職場となった今でも少しも変わることなくここにある。唯一変わったことといえば、見上げる本たちの壁が少し低く見えるようになったことくらいだ。



「ありがとうございました」


常連のお客さんを見送った後、手袋をはめてカウンターに積んでいた本に手を掛ける。そして乾いた布で一冊ずつ本の表紙を拭いていく。永い年月を過ごしてきたここの本たちは、たまにこうやって手を掛けてあげなければならない。

そしてその作業を数冊終えた時、店のドアにつけているベルが来訪者を告げた。


「いらっしゃいませ」


やって来たのは2、3ヶ月に一度ここを訪れる男性だった。私と視線があうと、軽く会釈をしてから、書棚の間をゆっくりと歩き出す。


古書しか扱っていないからか、このお店のお客さんはなじみの方がほとんどだ。それは大学の教授だったり、研究所の所員であったり、あるいは現代文学では物足りない生粋の小説好きの人とか。そんな人たちはそれぞれの専門分野の書籍だけを探しにやって来る。けれど、彼は違っていた。訪れるようになって1年ほどになるけれど、買い求めていくのはイヴァリースやアルケイディアの歴史書であったり、自然科学に関するものであったりと様々で、時折、古い恋愛小説を手にすることさえあった。


手の動きを止めないままちらりと視線を上げてその人を見る。身につけている上質そうな生地で出来た白いシャツは、ひどく彼に似合っていると思った。手に取った本をゆっくりとめくりながら、柔らかそうなグレイの前髪の隙間から覗く瞳で真っ直ぐに文字を追っている。まるで本の中に入り込んでしまっているのではないかと思ってしまうほど、その空間だけ彼の世界になってしまっているように感じられた。


本当に、本が好きな人なのね。


その様子を微笑ましく思いながら、私は再び作業へと意識を戻した。






挨拶くらいしか言葉を交わすことがなかったその人に初めて声を掛けられたのは、街の木々が色づき始めた秋の初めのことだった。


「探している本があるのですが、こちらに置いているでしょうか?」


一通り店内を回った後、仕入れたばかりの本の整理をしていた私に彼はそう声を掛けた。


「タイトルと作者名はおわかりですか?」
「残念ながら、タイトルしかわからなくて。50年ほど前に出版された魔法学の本なのだが―――」


ジャケットの胸ポケットから、彼は小さく折りたたまれた紙を取り出した。そこには丁寧な字で本のタイトルが書かれていた。


「魔法学の……」


紙に書かれた書名を見て、頭の中に入っている在庫のデータと照合する。


「―――申し訳ありません、こちらではこの本は置いていないです。同じ年代に出されたほかの本なら何点かあるのですが、そちらをご覧になられますか?」


そう告げると、彼は「いえ」と残念そうに首を振った。


「つい最近その本の話を耳にして、どうしてもこの目で読んでみたいと思ったのです」
「そうだったんですか―――。あの、急がれます?」
「あ、いや、特には」
「今月末にビュエルバで古書の見本市があるんです。仕入れのために行くつもりなので、お待ちいただけるのであればこちらの本探してみます」


あまりにも残念そうな彼の表情を見ていたらなぜだか黙っていられなくて、気がついたら私はそう提案していた。


「本当に?」
「ええ、魔法学の本を専門に扱っている業者の方もいますから、もしかしたら見つかるかもしれないし」
「じゃあ、お願いしても?」
「もちろんです」


すると彼は嬉しそうに顔をほころばせた。その優しげな笑顔に、自分の頬が不意に赤くなったのに気づいて私は慌てる。


「あ、あの、すみません。ビュエルバから戻りましたらご連絡差し上げますので、お名前と連絡先を伺ってもよろしいですか?」


ごまかすようにカウンターに置いていたペンとメモを彼に差し出す。彼は頷いて、流れるようにペンを走らせた。


ああ、やっぱり綺麗な字。字はその人を表すって言うけれど、きっとこの人も―――。


「あの……?」
「―――っ!」


気がつくと、彼が私の顔を覗き込んでいて思わず息を呑んだ。

「こちらでお願いします」
「あ、はい、すみません!」


恥ずかしさで再び頬が染まっていくのを感じながら、私は彼から受け取った紙に目を落とす。


「ええと、ザルガバース様、ですね?」
「不在にしている時が多いのですが、その時は家の者に伝えてください。皆にもその旨は私から伝えておきます」


よろしくお願いします、とそう言って彼は店を出て行った。私は頭を下げてその姿を見送ってから、ふうとため息をついた。


「もう、何やってるのよ私ってば!」


ぺちん、とまだほんの少し熱を持った頬を手のひらで叩いてから、注文書代わりのノートを取り出して、彼の書いた2枚のメモを見ながら書き写していく。


「ええと、ザルガバース様、と。…………ザルガバース………?」


その名前を復唱して、私ははっとする。ザルガバースといえば、確かジャッジマスターにも同じ名前の人がいたはずだ。1年前の大戦の際に、とても尽力したジャッジマスターのひとりだと聞いたことがある。


「で、でも、そんな人がこんな店に来るわけなんてないわよね。きっとただ同じ名前なだけよ」


私は自分をそう納得させて、ぱたんとノートを閉じた。




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