それでは誘惑の準備を



「ん……」

まだ重い瞼を少しずつ開いていけば、バルコニーに通じる窓のカーテンの隙間から次第に白み始めていく空が見えた。

まだもう少しだけ眠れそう……。

ぼんやりとそう思いながら寝返りをうとうとして、私は自分の目の前に伸びている腕に気づいた。その腕は私の頭の下を通って真っ直ぐに伸び、もう片方の腕はしっかりと私の腰を捕らえている。ちらりと背後を窺えば、目を閉じて小さな寝息を立てているウォースラがいた。


ああ、そうか―――。

目の前の筋張った腕にそっと触れながら、私は昨夜のことを思い出した。


久しぶりに会えたウォースラと砂海亭で食事をして、そのあと私の部屋に来たんだっけ。部屋のドアを閉めた途端、後ろからウォースラに強く抱きしめられたことを思い出す。


「……ん……」

もぞりと身体を動かしてなんとか身体の向きを変えると、向かい合う形になったウォースラの目元がほんの少しぴくりと動いた。

目を覚ましちゃうかな……?

そう思ったけれど、ウォースラは小さく一つ息を吐くと再び寝息を立て始めた。それにあわせて、ウォースラの肩と胸が静かに上下を繰り返している。しばらくその様子を眺めていた私は、そっと目の前の裸のままの厚い胸におでこをくっつけた。そうすることで、ウォースラの呼吸が私にもじかに伝わってきて、ひどく安心できた。




それからどれくらい時間がたっただろう。

しばらくそうやっていたけれど、ウォースラは相変わらずぐっすりと眠ったままで、逆に私は目がさえるばかりで。なんだかそれが悔しくて、私はウォースラの頬を指先でそっとつついてみた。

「……む……」

だけどウォースラは少しだけ眉をひそめるだけで、一向に目を覚ます気配はない。あごや腕もつついてみたけれど、やっぱり反応がない。

野営の時はどんなに眠っていても僅かな物音で目が覚めてしまうんだ、って言ってなかったっけ?もうほとんど職業病だな、なんてバッシュと笑いあっていたくせに。


でも、今こうやって無防備な姿でぐっすり眠っているということが、ウォスがそれだけ私のことを信用して心を許してくれている証拠なのだと思うと、やっぱり嬉しさは隠せない。ダルマスカ軍の中心で日々気を張っている姿は皆知っているけれど、こんな姿を知っているのは私だけなんだもの―――。


思わずぎゅっと抱きつけば、触れ合う肌と肌がひどく心地いい。昨夜抱き合った時とはほんの少し異なる肌触りも匂いも、すべてが私の心にしみてくる。それを感じながら抱きしめる腕に力をこめれば、ウォースラの鍛えられた身体にまるで私の身体が吸い込まれてしまうようだった。

もういっそ、このままずーっとくっついていられたらいいのに。

そう願いながらウォースラの鎖骨に口付けを落とした瞬間、伸ばされていたままだった二つのたくましい腕が不意に私を力強く捕らえた。

「ウォス!?」

驚いて視線を上げると、目を開けたウォスが不機嫌そうな表情を浮かべていた。

「お、起きちゃった……?」
「ああ、おかげさまで。誰かさんが大胆に誘ってくるものだからな」
「誘ってなんて……っ!?」

ぴたりと、私の太ももに押し付けられたそれに、一気に顔が火照る。

「責任、取ってくれるんだろうな?」

そう言ったウォースラが、すばやく身体を起こして私を見下ろす。

「そんなに俺の身体が恋しかったか?」
「そ、そんなこと……!」
「ああ?今あんなにつついたり擦り寄ったり、舐めたりしてたくせに、か?」
「な、舐めてない……!」

思わぬ展開にあたふたしながら首を振れば、にやりと音がしそうなくらい口端を上げてウォースラは言った。

「1ヶ月ぶりだったんだ。昨夜のあれくらいで俺が満足するわけないだろう?」
「あ、あれくらいって、十分……!」
「ほう、おまえは満足だったのか?1ヶ月会えなかった寂しさをあれ程度で埋められたと?」


心底楽しそうな表情のウォースラに、私は反論できるはずもなく……。


「で、でもちょっと……足りなかった、かも……?」


真っ赤になる自分の顔を感じながらそう答えれば、ウォースラはにやりと音がしそうなくらい口端を上げた。

「上出来だ」



満足げなウォースラの顔が悔しくて、私はかぷりとウォースラの耳に噛み付いた。



2011.2.27

title from『確かに恋だった』