君の瞳が映すのは僕だけで




いつもの店。いつもの席。いつもの酒。
それなのに、こんなに落ち着かない気分になるのはなぜだ―――?



!こっちにも頼むよ」
「はい!ちょっと待ってねー」

「これ、に土産だ」
「うわぁ、ありがとう!」

「最近、また女らしくなったんじゃないか?」
「またそんなこと言ってからかうんだから!」



ゴン。

飲み干したグラスを乱暴にテーブルに置けば、やけに大きな音が響いた。だが、にぎやかな話し声や笑い声が飛び交うここでは、そんな音さえかき消されてしまい、誰も気にとめる者はいない。

くそ、なんだかおもしろくない。

そう思いながら舌打ちすると、よく見知った男が向かいの席に座った。

「どうしたんだ?眉間に皺がよってるぞ、ウォースラ」
「……バッシュ」

バッシュはそう言うと、手を上げてを呼んだ。

「いらっしゃい!バッシュさん」
「やあ、。相変わらず忙しそうだな」
「そうなの。今夜は特にね。バッシュさん、いつものでいい?」
「ああ、頼む」
「ええと、ウォースラさんは……?」

空になったグラスを見とめると、は俺に視線を向けた。その瞬間、わずかに胸が高鳴ったが、そ知らぬ顔をして答える。

「ああ、同じもので構わん」

「かしこまりました」と笑顔を残して去っていくの姿を見ながら、俺は心の中でため息をついた。

「随分と綺麗になったな、は」

俺の心を知ってか知らずか、バッシュが不意にそう呟いた。

「そ、そうか?」
「ああ。そう思わないか?」
「……思わん」
「あれじゃあ、男たちにも随分言い寄られるのだろうな」
「……ふん」
「いいのか?ウォースラ。うかうかしていると他の誰かのものになってしまうぞ?」

思いがけない言葉に、俺は驚いてバッシュを見た。

「な、何を……!」
「好きなんだろう?彼女が」

何か反論しなければと思っても、人のよさそうな笑みを浮かべたバッシュに何も言い返すことが出来なかった。

まさか、こんな鈍感そうな男にばれてしまっていたとは……!



その後の俺は散々だった。バッシュへの照れ隠しと、相変わらずに言い寄る他の客たちへの怒りから酒をあおり続け、気がついた時には目の前で俺の話に相槌を打ちながら酒を飲んでいたバッシュの姿も、店内にひしめいていた客たちの姿もなくなっていた。

「ウォースラさん、大丈夫ですか?」

心配そうに俺を覗き込んだが、ことりとテーブルに水の入ったグラスを置いた。

「あー……バッシュ、バッシュはどうした……」
「バッシュさんならとっくに帰りましたよ。『ウォースラを頼む』って言い残して」
「……あいつ……」

グラスの水を一気に喉に流し込み、俺は椅子から立ち上がる。

「ぅおっ……」
「ちょ、大丈夫ですか!?」
「あ、ああ……大丈夫だ」
「全然大丈夫じゃないですよ!さ、一緒に帰りましょう?」
「……は?」
「私ももう仕事終わったんです。途中まで、帰り道一緒ですよね?」




「あー、やっぱり夜はだいぶ涼しくなりましたねー」
「ああ……」
「あ、ここ。雑貨屋さんが出来たんですよ。すごく素敵なものばかりなんですって」
「ああ……」
「……ウォースラさん、やっぱりまだ酔ってます?」
「ああ……って、いや―――」

慌ててそう答えれば、はくすりと笑った。

「だってさっきから『ああ』しか言ってませんよ?」
「いや、もう本当に大丈夫だ」

夜風に当たって酔いがさめたのかもしれないが、それだけじゃない。惚れた女と二人きりで酔ってなどいられるか。

数歩前を歩くの揺れる黒髪を見ながら、俺はそう胸の中で呟いた。

「ホントかなー。……じゃあ、これも聞き流してくださいね」

はぴたりと足を止めると、前を向いたまま口にした。

「私、この前プロポーズされちゃいました」
「……は?」

予想だにしてなかったことにあまりにも間抜けな声が出てしまったが、それを気にしている場合じゃない。

「……付き合っている男がいたのか……?」
「いいえ、お店の常連さんなんですけどね。なんとなく、前から口説かれてはいたんですけど」
「好きなのか……?」
「いい人だなぁって思いますよ。優しいし、大切にしてくれそうだし。あんまりにも急な話だけど、こういうのもありなのかなって」

心臓がうるさいほどに脈打っていくのが自分でもわかった。

が結婚だと?どこのどんな野郎かは知らんが、冗談じゃない。俺なんて、があの店で働き出した頃からずっと気に掛けてきたんだ。そりゃ、その間、俺にも何もなかったわけじゃないが……。だが―――。



「どう思います?」

悶々と頭の中でそう葛藤していると、いつの間にかこちらを向いていたがそう問いかけてきた。の顔は、店でも、そして今までも見たことがないような真剣な表情だった。

「どう、って……」

答えあぐねている俺を見るの瞳は、かすかに揺れているように見えた。怯えているような、不安で押しつぶされそうな、そんな―――。

「俺が『やめたほうがいい』と言ったらそうするのか?」

意を決してそう言えば、は一瞬きゅっと口を結んだ後、首を縦に振った。




気がつけば、俺はの腕を引き、その身体を腕の中に閉じ込めていた。


「そんなプロポーズ断ってしまえ」
「……はい」
「―――ついでに、これからは他の男に惑わされるな。俺のことだけ考えていろ」


その言葉に、腕の中で何度も何度も頷いたを、俺はさらに強く抱きしめた。


まるでそれは、他の誰の目にも触れることがないように―――。



2010.9.20

title from 『Traum Raum』