優しい嘘つき




。おまえは私の執務の邪魔をしに来ているのか?」
「違うわ。忙しいあなたの息抜きのお相手をしてあげようと思って来ているの。毎日毎日こんなところに閉じこもっていたら、気も滅入るでしょう?幼馴染みの優しい心遣いよ」

そう言った私にヴェインは諦めたようなため息をついてから、侍女に用意させた紅茶の入ったカップに口をつけた。私もそれに倣って、ヴェインのものよりも少しだけ甘い紅茶を口にふくむ。


ヴェインの執務室から続いている広いバルコニーでのティータイム。いつも私が押しかけて、半ば強制的に参加させているのだけれど、文句は言いつつも、いつもこうやって付き合ってくれる。特に何を話すわけでもないけれど、こうやって過ごす時間が何より嬉しい。


「そういえば」
「なぁに?」
「また見合いを断ったらしいな。御父上が嘆いていらっしゃったぞ」

珍しく、ヴェインの方から口を開いたと思えば、出てきたのはそんな言葉。

「だって、全然タイプじゃなかったんだもの」

ヴェインは「そうか」と苦笑いをこぼした。

「……ヴェインは?」
「なんだ?」
「結婚とか、しないの?」

なんでもないことのように、出来るだけ淡々とした口調でヴェインに尋ねた。ヴェインは少しの間をおいた後、静かにその問いに答える。

「する予定も、するつもりもない。今は他にやるべきことがあり過ぎる」

「そう」と呟いた私の声は少しかすれていたような気がして、胸の奥がちくりと痛んだ。




『ねえ、大きくなったらをお嫁さんにしてくれる?』
『お嫁さん?』
『そう。私、ヴェインのこと大好きだから、お嫁さんになりたいの。ヴェインは?私のこと好き?』
『ああ、好きだよ』
『じゃあ、と結婚してくれる?』
『そうだな、大きくなったら結婚しようか』




「嘘つき……」

ティーカップを置いて、立ち上がったヴェインの背中にこっそりと呟いた。

子どもの戯言だったのだとわかっていても、まだその約束に縋ってしまっている自分がいる。私の気持ちは、あの頃と少しも変わっていないのだから。

そしてきっと、ヴェインは私のこの想いを知っている。そのくせ、気付かないふりをしているのだ。受け入れることもなければ、突き放すこともない。そのことが、私の心に微かな期待を抱かせたり、少しずつ傷つけたりしていることをヴェインは知っているんだろうか。





「ヴェイン……」

背後から抱きしめたその身体は、あの日よりももっと広くて、だけど変わらず温かかった。回した私の腕を、払うことも包み込むこともせず、ヴェインの手は変わらず黙って下ろされたままだった。



あなたが私を受け入れないのは、これからあなたが身を投じる運命に私を巻き込まないためなのでしょう?それでも突き放さないのは、あなたも私と同じ気持ちでいてくれているからなのでしょう?

そのどちらを選ぶことも出来ないこの不器用で優しい人。


だけどもし、あなたがどちらを選ぼうとも、私の進むべき道は決まっているのだとあなたに教えてあげる。


私の心は、永遠にあなただけのものなのだと―――。




2010.2.4

title from 『Sinnlosigkeit』