ただ君が愛してくれると言うなら




それまで全くなかったわけではなかったが、青年期と呼ばれる歳を迎えた頃、突如として自分の身に両手では足りぬほどの婚姻話が持ち上がった。相手は由緒ある家柄の娘から帝国内で名を上げている企業の令嬢まで様々。その数多の女たちの中に、はいた。

名だたる家柄、血筋を持つ女たちの中で、の立場は異様だった。父親はアルケイディス市内で武器屋と防具屋を営んでおり、アルケイディア軍とも付き合いがあったとはいえ、莫大な財産も高貴な血筋も持たない一介の市民であった。そんな男の娘がなぜ候補に上がったのか周りの人間たちは不思議がったり訝しがったりしたが、私自身は興味もなかったし、今でも知ろうとは思わない。


その出だけではなく、実際はおかしな女だった。

次期皇帝候補の妻の座に着いたからといって、権力を振りかざすこともなかったし、普通の女ならば興味を持ってやまないであろうドレスや宝石なども最低限しか必要とせず、質素な暮らしを望んだ。ならば、実家への援助や口添えを望むのかとも思えば、嫁いで来てから一度も家の事を口にした事はない。

ただいつも同じように、執務を終えた私を出迎え、翌朝笑顔で送り出す。それはまさに『平凡』と呼ぶに相応しい日々だった。





「どうかなさったのですか?」

取り立てて急ぎの執務もなく、久しぶりに私室で身体を休めている時だった。ティーポットからカップにお茶を注いでいるが、私の視線に気付いて顔を上げた。今日彼女が着ているのも、ブルーのシンプルなデザインのドレスだった。

「……君には欲がないのかと思ってな」
「私に、ですか?」

ひどく意外だという表情をして、が私を見つめる。

「ああ。ドレスも宝石も欲しがらない。上流階級のご婦人たちが熱心な茶会もあまり興味がない」

私がそう言うと、はおかしそうに笑って答える。

「ドレスも宝石も、私はあまり着慣れていないから必要な分だけあれば充分なんです。お茶会もお誘いを受ければ出席するようにはしているけれど、なんのお話をして言いかわからないから苦手なんです」

「何せ、新民の出なんで」と卑下するでもなく、朗らかにそう続けた。

「ああ、でも欲はちゃんとあります」
「ほう。興味深いな」
「―――ヴェイン様のお傍に、ずっといたいと思うことです」


あまりに真っ直ぐにそう告げられ、私はしばし言葉に詰まってしまった。だが、はそんな私を気にする風もなく続ける。


「きっと、誰よりも、何よりも欲深いと思います」
「……次期皇帝候補としての私の?」
「いいえ。1人の人としてのヴェイン様の、です」
「では、私が皇帝候補ではなかったら?」
「お辞めになりたいんですか?うーん……そうですね。じゃあ、一緒に実家のお店で雇ってもらいましょうか。近々兄が継ぐことになると思うので、店主というわけにはいかないけれど、副店主くらいだったら考えてくれると思いますよ?」

そう言って、その姿を思い浮かべているのか、相変わらずは楽しそうに微笑んだ。



これまで20数年間生きてきて、私を皇帝グラミスの息子、次期皇帝候補以外として見ていた人間はいたのであろうか。私を、『ヴェイン・カルダス・ソリドール』ではなく、ただの『ヴェイン』として―――。


私の困惑を感じ取ったのか、は私の前まで歩み寄ると膝をつき、そっと私の手を取った。そして、両手で包み込むと祈るような仕草を見せた。

「どんなあなただって構わない。あなたが嬉しい時も楽しい時も、悲しい時も……。あなたと共にあることが、私の一番の望みなんです」




元老院や側近たちの反対をも押し切って私が自らを選んだのは、彼女が最も私に害をなさない女であるだろうと感じたから。そう、ずっとこれまで思ってきた。だが、それは違っていたのだと、重ねられた手の温もりを感じて気がついた。


私は、の純粋さ、ひたむきさに無意識のうちに惹かれていたのだ。



「これから先、何が起こるかわからない。平穏からも幸福からも、程遠い道かもしれない。それでも、君は私の傍にいると―――?」
「ええ。あなたと一緒であるならば、どんな道でも」



私のすべては、あなたと共に―――。




2010.3.22

title from 『knobracquer infist』