乗り越えて、逢いに来て




様……」

困ったような、呆れたような声が背後から届いた。

「意外と早かったのね、ガブラス」

私は広場へと続く階段に座ったまま、声色通りの表情のガブラスを見上げた。私の言葉に大きな溜息をついたガブラスに微笑みかけてから、私は広場の中央で子どもたちの歓声を受けている大道芸人に視線を戻した。

様、参りましょう。日が暮れる前に皇宮に戻らなくては」

私にしか聞こえないような静かな声で、ガブラスは私に囁いた。

「でも、もう少しだけ」

私の返答に、ガブラスは再び溜息をつきながら隣に腰をおろした。それがとても嬉しくて、ますます頬が緩んでしまう。

様、そろそろこのようなことは自重していただけませんか。こう何度も皇宮を抜け出されては、何かあった時にどうされるおつもりですか」
「あら。でも、またこうやってガブラスが見つけてくれるのでしょう?」

何か反論しようとしたガブラスだったけれど、これ以上何を言っても無駄だと思ったのか、開きかけた口を閉じた。





時々、皇宮を抜け出してアルケイディスの街をふらりと探索して歩く私を迎えに来るのは、いつの日からかガブラスの仕事になった。最初の頃は大勢の兵士たちが探しに街へ繰り出していたらしいのだけれど、私を見つけられないどころか、かえって騒ぎが大きくなってしまうため、今ではガブラスを含めごく数人になってしまったらしい。



目立たないように、馴染みの仕立屋からこっそり手に入れた街の女の子たちと同じような服装の私と同じように、ガブラスもいつもの強靭な鎧姿ではなく、身に付けている服はシンプルなものだ。まさか周りの人たちは、ここにいるのが皇帝の第一皇女とジャッジマスターだとは思わないだろう。


「ねぇ。私たち、今どんな風に見えるのかしら」
「……どのように、と申しますと?」
「恋人同士に見えるのかな、って」
「なっ……!」

驚いたように目を見開いたガブラスの顔がなんだかおかしくて、私はくすくすと笑みがこぼれた。

「まったく……からかうのはお止めください」

そう言いながら立ち上がったガブラスは、「さあ、戻りましょう」と私に声をかけた。本当は、もう少しこうやっていたかったけれど、これ以上彼を困らせるのも躊躇われて、私は素直に従った。立ち上がり、帰途へつこうとしたその時、先ほどまで素晴らしいパフォーマンスを披露していた大道芸人が、私たちの前に立ちはだかった。

「……様」

何かを感じたのか、ガブラスは私を彼から守るように背後へと押しやった。そして、腰に挿したタガーに手をかける。大道芸人はそんな私たちの緊迫感とは反対に、にこにこと笑みを浮かべながら、持っていた大きな帽子に手を入れた。

と、次の瞬間、私たちの目の前に現われたのは1本の真っ赤な薔薇。取り出した大道芸人は、相変わらずにこにことしながら、拍子抜けしてあっけにとられている私たち、ではなくガブラスに差し出した。

「あ、いや、これは……」

ガブラスは彼に私へ渡すように促したが、彼は相変わらずガブラスへと差し出したまま。そして、薔薇を持っているのと反対の方の手でガブラスを一度指差し、次に私を指差した。

「……俺が、彼女に渡せと?」

その言葉に、大道芸人は嬉しそうに頷いた。ガブラスは戸惑いながらもその薔薇を受け取ると、やっぱり少し困った顔のまま、私へとその薔薇を差し出した。

「ありがとう、ガブラス」

そんな私たちを満足げに見つめた後、大道芸人は軽い足取りで人ごみの中へ消えていった。



「やっぱり、恋人同士に見えたのかしらね」

手渡された薔薇の香りを感じながらそう呟いたけれど、ガブラスは黙ったままだった。



どんなに人ごみに紛れても、どんなに遠くへ行っても、いつもいちばんに私を見つけてくれるのはあなただった。それがとても嬉しくて、またあなたに見つけて欲しくて、私はこうやって街へとやって来るのだっていうこと、あなたは知っているのかしら。



「……っ、様!?」
「少しだけ」

初めてつないだ手は、とても暖かかった。



あなたはきっと恥ずかしがるだろうから、あの時あなたの耳が真っ赤だったことは、夕陽のせいにしておいてあげる。


2010.2.16