つないだ手



「森の奥へはお父さんと一緒でなければ行ってはいけないと言っていたわよね?」

滅多に見せない厳しい顔で、でも同じくらい悲しそうな顔で。僕と、そしてノアに母さんはそう言った。
そんな母さんの顔を見ていられなくて、僕はついさっき母さんに手当てしてもらったばかりの左膝の包帯に目を落とす。

「……ごめんなさい」

不意に、椅子に座る僕の横に立っていたノアが呟いた。

「僕が、森に行こうって言ったんだ……。だからバッシュは悪くない」
「違うよ!最初に誘ったのは僕の方だ!だから―――」

顔を俯かせたノアの手を慌てて握る。けれどノアは「ごめん、バッシュ」と、首を振るばかり。
そんな僕たちに、母さんは困ったように眉を寄せた。そして床に両膝を着いて、僕たちの目を真っ直ぐに見つめる。

「どちらが言い出したのかは関係ないわ。約束を破って、こんな危ない思いまでして。
一体、何をしに行っていたの?」


「……花が、欲しかったんだ」
「花?どうして花なんて……花なら森へ行かなくてもあるでしょう?」
「だって、今日は母さんの誕生日だったから―――」

ノアの言葉に、母さんは驚いたように目を見開いた。

「何か母さんに贈り物をしたかったけれど、僕たちまだ子どもだからお金もないし。
だから、バッシュと相談して、母さんに花をあげようって―――」
「前に母さんが好きだって言ってたあの白い花。この前、父さんと薬草を取りに森に行った時に見つけたんだ。
あの花は、森にしか咲いていないから、だから……」
「……でも、約束を守れなくてごめんなさい……バッシュに怪我をさせちゃってごめんなさい」

ぎゅっと、ノアが僕とつないだ手を強く握り締める。そして、その僕と同じ色の瞳からはぽろぽろと涙がこぼれ始めた。

「母さん、本当にごめんなさい……」

その姿を見た途端、鼻の奥がつんとなる。そして「ごめんなさい」と謝り続けるノアの顔がぼやけてくる。

「ごめんなさい、母さん、ごめんなさい」

そうして泣き出した僕たちを、母さんはその温かな腕で抱きしめた。

「バッシュ、ノア。母さん、その気持ちだけで十分よ」

その言葉に、僕たちは母さんの胸でさらに声を張り上げて泣いた。


怒られたから、怪我した足が痛かったから泣いているんじゃない。
母さんにあの花を贈る事ができなかったことが悔しくて仕方ないんだ。
僕も、そしてノアも―――。


その次の日、事情を知った父さんと共に再びあの場所へと赴き、やっと手にして持ち帰ったその花を、
母さんは大切に庭で育て、数年後には見事なまでの花畑を作り出してくれた。




「なんだよ、バッシュ。花なんか見てにやにやしちゃって」

その声にはっと顔を上げると、私の顔を覗き込んだヴァンが不思議そうな顔をしていた。

「なんかいやらしいなぁ。思い出し笑いみたいで」
「もうヴァンったら、そんな言い方して!そのお花に素敵な思い出があるのかもしれないじゃない!ねっ、小父さま!」

パンネロにそう無邪気に微笑まれ、私は苦笑いを浮かべてみせた。



あれから30年余り、思いがけず見つけたその花は、私にあの頃の懐かしい記憶を呼び戻してくれた。

「ノア、おまえも覚えているだろう?」

あの時感じた手のひらの温かさを思い出しながら、今では立場も事情も変わってしまった弟に、俺は小さく問いかけた。