優しい夜に抱かれて





「―――バルフレア?」

そっと声をかけると、操縦席にもたれたままだった影がぴくりと動いた。

「……ああ、か」

少しだけ驚いたような表情で、バルフレアは振り返った。

「どうした?眠れないのか?」
「うん、なんだか目がさえちゃって―――」

「そうか」と口にして、バルフレアは再び前を向いた。静まり返った操縦室に、自動操縦に切り替えたままのシュトラールのエンジン音だけが静かに響く。



声をかけるまで私がこの部屋へ入ってきたことに気づかなかったなんて、バルフレアはもしかしたら何か考え事でもしていたのかもしれない。もしそうだったのなら、私は部屋に戻った方がいいのかな……。

そう思い始めた私の心をまるで読んだかのように、バルフレアはフランの指定席である隣のシートを指差した。

「まだ眠れないようだったら、少しだけつきあわないか?」






「もうすぐ、1年だな」

ぽつりと、バルフレアが口にした。


1年前―――。
私たちはダルマスカの王女であったアーシェたちと偶然出会い、祖国を取り戻そうとする彼女たちとともに帝国に立ち向かった。けれどその戦いは帝国だけにとどまらず、イヴァリースの歴史をも巻き込んだ想像を超える壮絶なものだった。あの戦いの日々は、いまだに鮮明に思い出されるほど、私の脳裏にも焼きついている。

けど、バルフレアが今思っているのは―――。



「お父さんのことを……思っていたの?」

そう言った私に、バルフレアは口端を少しだけ上げてみせた。


ヴェーネスというオキューリアと出会い、再びイヴァリースの歴史を人間の手に取り戻すため、少しずつ変わっていってしまったバルフレアの父親―――ドクター・シド―――。帝国の次期皇帝候補だったヴェインとともにそれを成し遂げようとしたけれど、最後はバルフレアたちとの死闘の末、この世を去った。

その手で父親に銃口を向け、目の前で人造破魔石の力によって朽ち果てていく姿を目にすることになったバルフレア。いくら仲違いをしていたとはいえ、それがどれほど辛いものだったのかは、私にも容易に想像できる。


「本当にあいつは馬鹿な男だよ。人間の歴史を取り戻すだなんて、そんな大それたことをやろうとするとは―――」


あの戦い以来、バルフレアはシドのことを一言も口にしなかった。それは、シドとのことを断ち切ったからだと思っていたけれど、本当はまだバルフレアの中でうまく受け入れることができていなかったから―――なのかもしれない。



「……でも、そんなお父さんが大好きだったんでしょう?」

私の言葉に、バルフレアは口をつぐんだ。私はシートから立ち上がり、膝に置かれたままのバルフレアの右手にそっと手を重ねた。

「―――黙って、昔のようにわけのわからない研究だけにのめり込んでおけば良かったものを―――」
「バルフレア」

微かに月明かりに照らされた彼の顔が今にも泣き出しそうに見えて、私は思わずバルフレアを抱きしめた。


いつも自信に満ち溢れ、決して弱音など吐いたことがない彼が今、私の腕の中で身体を震わせ、声も出さずに泣いている。それが、父親をあんなかたちで失った悲しみがどれだけ深いのかをいやと言うほど感じさせて、胸が張り裂けそうになった。



尊敬していた大好きなお父さんだったからこそ、バルフレアは変わっていく姿を見るのが耐えられなかったんだよね。
だからこそ、自分の手でお父さんを止めたかったんだよね。



ぎゅっと、私の身体にバルフレアの腕が回される。



「ねぇ、バルフレア」

私はバルフレアの背中をそっとなでながら口を開いた。

「お父さん、あの時なんだか嬉しそうだった……」

自らの身体から放たれるミストに包まれて消え去る瞬間、ドクター・シドはバルフレアを見つめ、確かに微笑んでいたように私には見えた。

「きっと空賊としてのバルフレアのこと、認めてくれたんだね」



『どうせ逃げるなら、逃げ切ってみせんか―――』



あの時のシドの最後の言葉は、自分で選び飛び出した道を突き進めと、まるでそう言っているようだった。


ふっ、と、腕の中のバルフレアが息を吐いた。

「……さあ、どうだかな」

ぶっきらぼうにそう言ったけれど、バルフレアの声がやっぱり少し嬉しそうに私には聞こえた。





シュトラールが月の明かりに照らされた雲の上をすべるように静かに飛んでいく。


「ね、バルフレア。大灯台に寄り道して行こうか。きっと、フランも賛成してくれるわ」
「……ああ」



そしてあのどこまでも続く真っ青な空と海の見える丘の上に、たくさんの花の種を蒔こう。高い高い空の上からでも、すぐに見つけてもらえるように。



2011.1.17

title from 『Traum Raum』