今日は離れてやらない
ドリーム小説
氷が解けてだいぶ薄まってしまったピンクアバーグの実のジュースを一口こくん、と飲む。ピンクアバーグはここバーフォンハイム付近の温暖な地域でしか採れない果物。ヴァンは癖のある味が苦手だと言っていたけれど、私は割りと気に入っていて、バーフォンハイムに来てからほぼ毎日飲んでいるほどだ。
ストローでグラスの中に残った氷をくるくる回しながらちらりと隣を見れば、先ほどから変わらず真剣な眼差しを手元の分厚い本に落としているバルフレア。
どうやら、ここへ来る前に立ち寄った古本屋で見つけたその機工学の本はかなり貴重なものだったらしく、バルフレアは白波亭にやって来てからも、食事にもあまり手をつけずにずっとその本を読み続けている。もう他の皆は宿に帰ってしまって残されたのは私とバルフレアだけ。
「ねぇ」
「………」
「ねぇったら」
「………」
「バルフレア!」
なかなか呼び掛けに答えてくれないバルフレアに痺れを切らして少し強い声で名前を呼べば、まるで夢の世界から呼び戻された人のようにはっとして、バルフレアはやっと顔を上げた。
「ん、どうした?」
「おもしろい?その本」
「ああ。何せ古いものだから載っているのは今じゃほとんど使われなくなった技術ばかりなんだが、逆に今これを利用できればもっと……―――」
そう言いながら、バルフレアは再び本の世界へと入っていく。
「もう……」
少し不満げに声を漏らせば、今度はすんなりとバルフレアがその声に反応して顔を上げてくれた。
「退屈だろ?先に戻ってていいぜ。俺はもう少しここでこいつを読んでいくよ。どうせ戻っても、ヴァンがうるさくて集中できなそうだからな」
「……いい。もうちょっとここにいる」
まあ、確かに退屈と言われれば退屈。でも、ここにバルフレアを1人残していくわけにもいかない。―――なぜなら、それはさっきから彼に送られている熱い視線のせい。
そ知らぬ顔をして覗き見れば、その先にはうっとりとバルフレアを見つめるお姉さまの姿。それも1人や2人じゃない。あげくには、白波亭の店員さんまで含まれていたりする。私がいなくなったらきっと、あのお姉さま方は一目散にバルフレアに近づいてくるに違いない。
そんなの、恋人として見過ごせるわけがないじゃない!
そう心に誓うと、まるで私の心を読んだかのように向けられるお姉さま方の視線。それはバルフレアに向けられていたものとは180度真逆の冷たいもので、思わず怯みそうになるけれど、負けるものか!と視線を送り返せば、ひくりとするお姉さまのこめかみ―――。
「なにやってんだよ」
こつん、と頭を叩かれて顔を上げれば、訝しげなバルフレアの顔。
「う、ううん、別に」
「やっぱり暇なんだろ?パンネロでも誘って買い物でもしに行ったらどうだ?」
「ダメ。ここ離れるわけにはいかないの」
「は?」
「私がいなくなったら、バルが襲われちゃう」
バルフレアは最初わけが判らないという顔をしていたけれど、周りをぐるっと見渡して「ああ」と合点がいったようだ。バルフレアに見つめられてほんのり頬を染めているお姉さま方の心中は良くわかるけれど、自分にそういう視線が向けられているとすんなり理解してしまうバルフレアはどうかと思う。
自分がもてるってわかってるくせに、ムダに色気をふりまいちゃうんだもの。ここにちゃーんと彼女がいるっていうのに!
そう思って少しそっぽを向けば、パタンと本が閉じられる音がした。
「じゃあ、そろそろ行こうか?」
閉じた本を持った手と逆の手をバルフレアは私にすっと伸ばした。
「……もう少し、その本読みたいんじゃないの?」
「こいつならこれからいくらでも読める。それよりも―――」
ぐいっとバルフレアはテーブルに置いたままだった私の手を引き寄せると、耳元に唇を寄せた。
「大事な恋人を不安にさせるわけにはいかないだろう?」
言葉と共に感じるバルフレアの吐息に顔が熱くなっていく。そしてそれに追い討ちを掛けるように、バルフレアはそのまま私の耳にちゅ、とリップ音を立ててキスをした。
「買い物にでも行こうか?それとも、夕暮れまで砂浜でのんびりしようか?」
そう言ってにやりと笑ったバルフレアの腕が肩に回される。心なしか、息を呑むお姉さま方の声が聞こえたような気がした。
ああもう、きっとこれもバルフレアの『計算』なんだろう。
真っ赤になった顔を見られたくなくて、顔を前に向けたまま答える。
「……両方」
「了解、お嬢様」
こうなってしまえば、あとはバルフレアのペース。うまくのせられちゃった気もするけれど、それが全然嫌じゃないと思ってしまうのは、そんなバルも含めて好きだからなのかもしれない。
その気持ちがちゃんと伝わるように、ぎゅっとバルフレアの上着の裾を掴んだ。
2010.7.25