絶対不可侵領域
「お疲れ」
床下のエンジンルームから姿を見せたに声をかけると、僅かに訝しげな目でこちらを見た。
「……何か?」
「おいおい、俺は一応客なんだが?自分の艇の具合を見るくらいいいだろ?」
肩をすくめてそう言ってみせれば、は「そうだけど」と、それでもあまり納得していないような顔をした。そして俺の存在などお構いなしといった様子でシュトラールを降りると、置いてあったタオルで額の汗を拭った。
「で、どうだ?シュトラールの様子は」
「随分、無茶な飛び方してるのね」
後ろに結わえた髪を解きながら、溜息交じりでは口を開いた。
「いくらアルケイディス製の飛空艇だって言っても、加速にも限界はあるのよ。もっとバランスを考えて飛ばせてあげないと、艇がかわいそう」
「色々と追われてる身なんでね、こいつに頼らないと大変な目にあっちまう。でもにこうやって見てもらった後はこいつも機嫌がいいんだ。驚くほどいい飛び方をしてくれる」
そう言えば、それまで仏頂面だったの顔が嬉しそうにほころんだ。女でありながらも一流の腕を持つ機工士であるは、服や髪型を褒めるよりも、その仕事を褒める方が何倍も嬉しそうな顔をする。この工場のボスである親父さんの血を受け継いだせいもあるのか、そういうところが根っからの機工士なんだろうと感じさせる。
「足りなかった部品も明日届くはずだから、夕方までにはメンテナンスも終わると思うわ」
「ああ、構わないさ。あと4,5日はビュエルバにいる予定だ」
「そうなんだ」
「ああ。―――ところで、この後の予定は?」
工具を道具箱にしまい終わったの背中に問いかければ、再び無表情な顔がこちらを振り返った。
「そうね。メンテナンスのレポートを書いて、家に戻ったらシャワーを浴びてのんびりするわ。我が侭なお客さんの仕事で今日はもうヘトヘトなの」
「じゃあ、我が侭ついでに夕飯に付き合えよ」
「ごめんなさい、遠慮しておくわ。女の子たちに睨まれながら食べると、全然食べた気がしないもの」
これまで何度声をかけても、はいつもこの調子だ。非空艇の話(それも場所はこの工場限定)以外には、全く乗ってこない。俺に興味がないのか、それとも男に興味がないのかはわからないが、ここで引くようじゃ空賊バルフレアの名がすたる。
「もう、どうしてそんなに私に構うの?」
なかなか食い下がらない俺に困ったように溜息をついて、は俺に問いかけた。
「バルフレアなら、もっと素敵な女の子がたくさん寄って来るでしょう?」
ああ、おまえはホントにわかってない。その汗に濡れた化粧っ気はないが色白で整った顔立ちにも、油にまみれた作業着の下にあるしなやかな身体にも、俺はとっくに気づいている。それを手に入れたいと思うのは当然じゃないか。
「宝を手に入れたいと思うのは、空賊としての性なんだ」
「大した宝じゃないと思うけど?」
「俺にしてみれば、充分すぎるぐらいだ」
にやりと笑って言葉を返せば、はしばらく呆気に取られた後、真っ直ぐに俺の目を見返してきた。茶色がかった瞳が俺を捉える。
「いくら一流の空賊だって、なんでも簡単に手に入れられると思ったら大間違いよ」
「おもしろい。その方が落とし甲斐があるね。俺は欲しいと思ったものは、必ず手に入れてみせるぜ?」
そう言っての頬に手を伸ばし、タオルでは拭いきれなかった頬についた油を親指でなぞってやれば、いつものポーカーフェイスはどこへやら、は顔を真っ赤にさせて口をぱくぱくと動かした。その表情がかわいくてつい笑い声をこぼすと、真っ赤な顔のまま俺を睨みつける。
「ちょ、調子に乗らないでよね!私だって、そう簡単に盗まれてやるつもりはないんだから!」
そう言い捨てると、は道具箱を抱えて大急ぎで作業場から去っていった。
あんな顔でどなっても、まったく逆効果だってことをあいつはわかってんのか?
俺は羽根を休めているシュトラールを見上げて、ゆっくりと口端を上げた。
「さぁて、どっから攻めてやろうか?」
2010.3.4