バスルームの誘惑
ふんわり香るローズの香り。
身体を包むふわふわの白い泡。
いつもであれば至福の時間のはずなのに。
「悔しいっ」
抑えきれずに口にしたその声はバスルームに響き渡った。言葉にしたらますます怒りがわいてきて、私はばしばしとお湯を叩きながら言葉をつなぐ。
「ちょっとくらい褒めてくれたっていいじゃない!そ、そりゃ悪いとこもあったけど!」
最速の空賊を名乗るバルフレアに相応しいようにと、さらにシュトラールのスピードアップを狙ってグロセアリングエンジンを一晩かけてメンテナンスした私に、機工士の先輩でもあるノノはちらりとエンジンを眺めた後に冷ややかにこう言った。
「全然ダメクポね」
スピードばかりにこだわって肝心の機動力が落ちてるだとか、ひとつのことだけを見て他のものが見えてないなんておもちゃをいじる子どものようだ……などなど。あんなかわいい顔をして、それはそれは見事なまでの毒舌を披露してくれた。
その言いようにあまりに頭にきて宿に戻った私は、本を読んでいたフランを捕まえてその出来事を話した。私の話をフランはいつものようにクールに微笑みながら聞いた後、「とりあえず、その油まみれの身体を綺麗にしてらっしゃい」と、有無を言わさず私をバスルームに押し込んだのだ。
「そりゃ、確かにノノの言うとおりかもしれないけど……」
それでも、ずっと設計図とにらめっこしながら作り上げたあの欠陥だらけのエンジンを少しでも認めてもらいたかった、なんて。そんな甘えたことを考える私は、やっぱりノノの言うとおり、まだ子どもなのかもしれない。
怒りを通り越して自己嫌悪に陥った私は、ぶくぶくとそのままバスタブの中に顔を埋めた。
―――と、カチャリとバスルームの扉が開く音が聞こえた。心配したフランが覗きに来てくれたのかと思った私は、泡の中から顔を上げた。
「フラ……」
「泡だらけになって何やってるんだ?」
けれど、目の前に立っていたのはフランではなくて―――。
「ババババババ……バルフレア……!?」
「鼻の頭まで泡が付いてるぞ。潜水ごっこでもしてたのか?」
私の動揺をよそに、バルフレアはいつもと同じ調子で問いかけてくる。そして、ゆっくりと私の方へとその手を伸ばした。その手から逃れるように、私は慌ててバルフレアに背を向けた。
「ちょ、ちょっと待って!なんで!?なんで入ってくるのっ!?」
「なんでって、俺も物品庫あさってたら埃だらけになったんだよ」
「なななんで、裸っ……!」
「ああ?風呂はいるんだから当たり前だろ」
ぱちゃん、と音がしてバルフレアが同じバスタブに身体を沈めてくる。その振動でふわりと揺れる泡にさらにわたわたと慌てながら口を開く。
「信じられない!断りもなく女の子のバスタイムに乱入するなんて!」
「断れば素直に入れてくれたのか?」
「そんなわけないじゃない!」
「だろ?それに何照れてるんだよ。俺の裸なんて見慣れてるだろ?」
いつの間にかぴたりと身体を寄せてきたバルフレアが「な?」と、耳元で囁いた。
「っ、バカ!!」
そう叫んで振り向いた私の目に飛び込んできたのは、にやりといつもの笑みを浮かべたバルフレアの余裕の表情。そんな顔を見たら、ひとりで騒いでるのがばかばかしくなって、観念した私は大きなため息をついた。
「ノノと喧嘩したんだって?」
私の肩にそっとお湯を掛けながら、バルフレアはそう口にした。
「……喧嘩っていうか……」
白い泡を手のひらで弄びながら言い渋ったけれど、きっとバルフレアはもう何があったかお見通しなのかもしれない。
「自分でもちょっとダメだったかな、って思ってたところをノノに指摘されちゃって、私が勝手に腹を立ててるだけなの」
そう、ノノはバルフレアも一目置く一流の機工士。だからこそ、少しの欠点も見逃すわけがない。彼が求めるのは、いつでも最高の技術だ。そう教えられてきたはずなのに、ちょっといい気になって勝手にメンテナンスなんかして。それをダメ出しされてしまって、私のほんの少ししかないプライドが傷つけられたような気がしただけなのだ。ノノは決して、そのすべてを否定したわけじゃないのに。
はあ、とため息をつくと、背後のバルフレアが「ああ、でも」と呟いた。
「あいつ言ってたぞ?はなかなか筋がいいから教えがいがある、さすが自分が見込んだ機工士だ、って」
「嘘!」
その言葉に振り返った私の顔を見て、バルフレアは笑って頷いた。
「ホントだぜ。あいつが誰かを褒めるなんて滅多にないから良く覚えてる」
嬉しい。ノノ、ちゃんと私のこと見てくれていたんだ。……それなのに私ったら―――。
「ノノに謝ってくる!」
「ストップ」
そう言って立ち上がろうとした私の肩をバルフレアが押さえた。
「あいつなら、さっきいい部品が入荷したとか何とか言って出かけてったから当分戻ってこないんじゃないか?」
「え……そうなの?」
「ああ、それよりも」
バルフレアがそっと後ろから私を抱きしめた。
「久しぶりにふたりでこうしていられるんだ。もう少しゆっくりしようぜ」
私の肩に顎を乗せてバルフレアが呟いた。
「ねぇ、バル」
身体に回されたバルフレアの腕に自分の手を添える。すらりと細いけれど、鍛えられた筋が浮かぶ自分とは違う男の人の腕。
「もしかして、慰めようと思って来てくれたの?」
「―――さあな」
バルフレアの顔は見えなかったけれど、にやりと笑ったような気がして私も一緒に微笑んだ。
「ありがとう、バルフレア」
優しい腕と、あったかいお湯に包まれて、強張っていた私の心もすーっと解けていくような気がした。
厳しいけれど、大切な技術を私に教えてくれるノノと、いつも優しく見守っていてくれるフランと。そして、いちばん近くで私を支えてくれる愛しいバルフレア。そんな人たちに囲まれて、なんて私は幸せなんだろう。
「……って、バル。なんか手がやらしい動きをしてる気がするんだけど?」
「そうか?」
「っ、ほら!ダメだって!」
「いてっ!っ、なんだよ、抓るな!」
「じゃあ離して!私もう出る!」
「馬鹿言うな。お楽しみはこれからだろ?」
「馬鹿はどっちよ!」
そんな言い争いをしている私たちに、クールな表情を崩さないまま「近所迷惑よ」と、フランがバスルームに顔を出すまであと少し―――。
2011.11.7