あの日愛した空の下



「バルフレア―――?」

呼びかけられたその声に、大げさなほど胸が高鳴った。それが誰かなんて、振り返る前からわかっている。

「……

生まれて初めて心底惚れて、そのくせ俺の勝手ばかりで悲しませ、別れた恋人。




「元気だったか?」

3年ぶりだっていうのに、そんなありきたりな言葉しか出てこない自分に心の中で舌打ちをする。

「うん。バルフレアも元気そうね。噂は聞いているわ。―――最速の空賊さん?」

からかい混じりにそう言った顔は少しも変わっていなくて。それがやけに嬉しくてたまらなかった。



「全然変わってないな」
「もう!たとえそう思っても『大人っぽくなったな』っていうのが礼儀でしょう?これでもバルフレアよりも2つも年上なんだから、ちょっとは気を使ってよ」
「よく言うぜ。相変わらずそんな甘ったるい酒を飲んでるヤツに言われたくないな」

そう言えば、は怒ったようにそっぽを向いた。そういうところが変わらないのだと口にすれば、はますます拗ねてしまうのだろう。



よく2人で行っていたバーの指定席だった一番奥のテーブルで、は今、あの頃と同じように俺の隣にいる。甘い酒を少しずつ喉に流し込みながら俺の話を楽しそうに聞いて、頷いて、笑って。思わず、あの頃に戻ったんじゃないかと錯覚してしまう。



「私ね、結婚するの」

ふと生まれた会話の隙間に、まるでそのタイミングを待っていたかのようにが静かにそう呟いた。

「5日後にカフ空中テラスにある教会で式を挙げるの」
「……そうか」
「うん……」
「お相手は随分と羽振りがよさそうじゃないか」

本当は再会した瞬間から気づいていた彼女の左手の薬指にはめられた淡いブルーの光を放つ石に目をやった。あの石は、の誕生石だ。

「そんなこと……」

さりげなく、まるで俺の目からそれを隠すように自分の右手をそこに重ねては答えた。

「父の、会社の取引先の息子さんなの」
「政略結婚、か」
「そんな風に言わないで。とても優しい人なのよ」




あの頃、俺は空賊としてこの名を広めてやろうと躍起になっていた。シュトラールを手に入れたのも確かその時期。やっと自分で納得できる飛空挺を見つけ、それこそおもちゃを与えられた子どものようにはしゃいでいた。この飛空挺と頼もしい相棒と、そして何より自分の腕があれば間違いなくイヴァリースで一番の空賊になれる、その自信があった。

そのせいで、の事はいつも後回し。お宝探しだなんだとイヴァリース中を飛び回り、たまに地上へ戻ってきてもシュトラールのメンテナンスに没頭した。だからと言って、への気持ちが薄れていたのかといえばそんなことはない。俺はどこかで「ならわかってくれる」と、そう勝手に信じ込んでいたんだ。

誰もが認める空賊になったら、を迎えに来よう。その時には、もうこれまでのような心配をかけることも不安を抱かせることもない。ずっと一緒に、と空を飛ぼう。きっとそれまで、は待っていてくれる―――。




「そいつのこと、好きか?」
「……ええ、好きよ。当たり前じゃない」
「愛しているのか?」

そう尋ねた俺の言葉に、は右手で指輪を確かめるようになぞると「愛せるわ」と自分に言い聞かせるかのように答えた。



「っ……バルフレア?」

3年ぶりに触れたの手は、やはりあの頃と変わらず温かかった。驚いては手を引こうとしたが、俺はさらにその手に力をこめた。

。俺と一緒に来ないか?」

は驚きで目を見開いた。

「……な、何を言ってるの?バルフレア、そんなこと……」
「俺を誰だと思ってる?イヴァリース1の空賊だ。欲しいものは必ず盗み出す」


3年前、果たせなかったあの誓いを今こそ果たそう。

「式の前日の夜10時、飛空艇ターミナルで待ってる」





「―――バルフレア」

あれから4日後の夜、飛空艇ターミナルに現われたは静かに俺の名を呼んだ。

「時間通りだな」

定期便の運行時間が終わっていることもあって、この時間のターミナルにはほとんど人がいなかった。昼間とは違い、やけに自分の声が響く。

?」

差し伸べた俺の手をとることはせず、は俯いていた顔を上げて俺をまっすぐに見た。

「ごめん。一緒には行けない……」
「―――そうか……」



に再会した後、フランからビュエルバの古い知り合いから仕入れたという話を聞いた。

の親父さんが体調を崩し、そのせいで会社が危なくなっていたこと。その危機を結婚相手の父親の会社が援助という形で救ったこと。

「その婚約者は本当に純粋に彼女を想っていたようね。たとえ結婚を断ることがあっても、決して援助を止めることはしない、って言っていたそうよ」



「ねえ、バルフレア。どうしてあの時、私が別れようって言ったかわかる?」

魔石の街灯にぼんやりと照らし出された大通りを歩きながら、は風になびく髪をそっと手でおさえた。

「随分、勝手なことばっかりしちまったからな」
「違うの」
「違う?」
「うん。……私嫉妬してたの」

その言葉の意味がわからず、探るような瞳を向ければ、は言葉を続けた。

「楽しそうに空を飛ぶバルフレアを見ると、私もすごく嬉しかった。だけど、それと同じくらいあなたを独り占めする空も羨ましかった。だからあのままじゃいつか、あなたに『もう飛ぶのはやめて』って言ってしまいそうだった……」
……」

は立ち止まると、泣き笑いのような顔で俺に向かい合った。

「これからも、バルフレアには自由に空を飛び回って欲しい。―――悔しいけれど私、空を飛んでいるあなたがいちばん大好きなの―――」





「バルフレア!準備万端クポ〜!」
「よし、頼む。ハッチを開くぞ」

通信機を戻し、コックピットのハッチ開閉ボタンを押す。

「随分、ロマンチックなことをするのね」

そう言いながらも楽しそうにフランは微笑んだ。

「男ってのは、最後までかっこつけたいものなのさ」



―――。おまえが好きだと言ってくれた空から、誰よりもおまえの幸せを祈るよ。






「うわぁ!すごい!」
「お花だよ!すごくたくさん!」

歓声を上げる子どもたちに混じって、私は空を見上げる。舞い落ちてくる花びらの向こうに、飛行機雲を引き連れた飛空艇が真っ直ぐに飛んでいくのが見えた。

。あの飛空艇がこの花びらをプレゼントしてくれたのかな」

たった今、私の夫となった人は穏やかに微笑んでそう言った。

「あの飛空艇、なんて言ったかな。確か……」
「―――シュトラール……」

シュトラールが消えていった空は、泣きたくなるくらい綺麗な青空だった。

「最速の空賊、バルフレアの飛空艇よ―――」


2010.4.2

title from 『Sinnlosigkeit』